本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

マインドフルネスの効果について証言⑥ ~まとめ・効果は全て副産物~

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ここまで、僕が実感したマインドフルネスの効果について述べてきました。

 

マインドフルネスの実践によるこれらの効果は、僕の生きづらさを根本から大きく改善してくれました。

 

しかし、ここで断っておきたいことがあります。

 

それは、深い意味において、僕自身は何も変わっていないということです。

 

何か「特別な自分」になったわけではありません。

 

注意の向け方が変わった

 

では、一体、これらの効果はどうして起こったのでしょうか。

 

前回の記事で僕が述べた持論。

 

人間が真の意味でコントロールできるのは、現在の自分の行動と注意の向け方の2つだけであるということ。

 

マインドフルネスは、注意の向け方をコントロールする格好のトレーニンなのでしょう。

 

もちろん僕も、瞑想の実践中は、そのように自覚してやっているわけではありません。

 

しかし、結果的に瞑想の実践が、「何にどれぐらい注意を向けるか」を調整する訓練になっていたんだと思います。

 

注意の向け方が変わると、ものごとへの関わり方が変わります。

 

僕に現れた効果は、注意の向け方の変化によるものなのだと、僕は感じています。

 

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それそのものが目的

 

何か特別な効果があると聞いたものには、飛びつきたくなるのが人情でしょう。

 

そういう意味では、最近の「マインドフルネスブーム」は頷ける部分はあります。

 

マインドフルネスには脳の活性化の効果があり、生産性の向上に寄与するということで、大手の企業も研修などで取り入れていると聞きます。

 

たしかに企業の社員研修なら、そうした「目先の効果」に着目するのも理解はできます。

 

しかし、僕は生きづらさ改善のためのメソッドとして、マインドフルネスを紹介しています。

 

そうした目的で実践するなら、僕は瞑想の「目先の効果」に期待して一喜一憂するのではなく、瞑想を深めていただきたいなと思います。

 

※とはいえ、気負う必要はまったくありません。

 

マインドフルネスの効果は、あくまで「副産物」です。

 

僕に現れた効果もしかりです。

 

マインドフルネスとは、実は効果を期待して行うものではなく、それそのものが目的なのです。

 

究極的には、「マインドフルネス = 生きること」だと僕は思っています。

 

「なんのこっちゃ」という感じかもしれませんが(笑)、マインドフルネスを深く実践すればおのずと体感することになると思います。

 

※先ほど「生きづらさ改善のためのメソッドとしてマインドフルネスを紹介する。」と述べましたので、「それそのものが目的」と言うと、一見矛盾するように感じるかもしれませんが、ここは思考や言語のレベルでは説明できない部分です。

 

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 合わなければやめればいい

 

マインドフルネスはこのように、僕にとっては非常に有効なものでした。

 

しかし、この連載記事の始めのほうでも触れましたが、どんなメソッドにも残念ながら、「合う合わない」はあるかと思います。

 

生きづらさ改善のメソッドとしてマインドフルネスを実践した場合であっても、一向にそうした効果が感じられないという人もいるかもしれません。

 

もちろん僕も、そんな風にはなってほしくないと願っていますが、そうしたケースがあるということも致し方のないことです。

 

そのようなときは、迷わずマインドフルネスという方法を諦めていただいていいと思います。

 

生きづらさを改善するための方法はほかにもたくさんあります。

 

「それのみが全てではない」のです。

 

僕も自己啓発心理療法など、様々な方法を試み、失敗を重ねた末にマインドフルネスに辿り着いたのですから。

 

これまでも苦しんできたであろうあなたには、これ以上、合わないやり方に固執させてつらい思いをしてほしくないのです。

 

あなたには、今のあなたに合う方法がきっとあるはずです。

 

しかし、生きづらさ改善のためのマインドフルネスは、即効性があるものではないので、少なくとも3か月は、なるべく毎日実践してみていただきたいと思います。

 

そのうえで、「合う合わない」の結論を出してみてはいかがでしょうか。

 

さて、マインドフルネスの効果について、僕からの証言は以上とさせていただきたいと思います。

 

少しでも皆様に、マインドフルネスの魅力や有効性を感じ取っていただければ幸いです。

 

長きに渡ってお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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マインドフルネスの効果について証言⑤ ~「できない自分」を許す~

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僕はマインドフルネスにどのような効果を感じたのか。

 

それを証言するこの連載記事も、いよいよ終盤に差し掛かりました。

 

↓↓ この連載記事の意図および注意事項 ↓↓

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これまでお話ししたマインドフルネスの効果のうち、枝葉に当たるものが積み重なり、僕は少しずつ「できない自分」が許せるようになっていきました。

 

今回はそれについて、詳しく述べたいと思います。

 

成功哲学」に振り回される

 

完璧主義で苦しんでいた僕にとって、失敗はとても恐ろしいことでした。

 

「成功しない自分には価値はない。」

 

そう信じていました。

 

ですから、常に「失敗してはいけない。」と、何かに駆り立てられるようにむやみに行動していました。

 

心から安心できる時間はほとんどなかったのではないかなと思います。

 

書店に並ぶ自己啓発本には、様々な「成功哲学」が記されています。

 

僕はそれらの通りにすれば、幸せになれるに違いないと信じていました。

 

成功を重ねた先に何か楽園のような安住の地があり、そこに到達すれば、もうこのような苦しみから抜け出せるのではないかと期待していました。

 

しかし、実際はまるで逆でした。

 

成功哲学」の通りにできなかったときは、自分を責める。

 

仮にうまく成功したとしても、ひとときの満足はありますが、またすぐに次の成功へと心が駆り立てられる。

 

いつまで経っても心が休まることはない。

 

終わりなき戦い。

 

まるで修羅界でした。

 

「存在」あってこその「行動」であることを知る

 

それまでは、自分の「行動」とその結果に執着していました。

 

しかし、マインドフルネスの実践により、僕は「今、ここにいる自分」の「存在」に意識を向ける時間を持つようになります。

 

すると、少しずつ自分の「存在」を確かなものと信じられるようになったのです。

 

つまり、成功しようと失敗しようと、僕は変わらず「存在」しているのだと感じられるようになったのです。

 

たしかに「行動」は大切かもしれない。

 

その結果も気になるだろう。

 

しかし、「存在」があるからこそ「行動」ができるのだ。

 

真に偉大なものは「存在」であって、「行動」やその結果は付随物なのだ。

 

この認知の変化は、僕にとって革命的なものでした。

 

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結果への執着を手放す

 

この気づきから、僕はある確信を得ます。

 

それは、「結果はコントロールできない」という真実です。

 

「努力をすれば何でもできるようになる」という「成功哲学」を心から信じる人にはとても受け入れがたい言葉かもしれません。

 

突き放したような言い方で申し訳ないのですが、そうした信念をお持ちの方には、このブログはお役には立てないと思います。

 

なぜなら、そうした成功を追い求めること(=達成ゲーム)に疲れ果てた人や、成功よりも安らぎを望む人に向けて発信していますので。

 

何度かこのブログで申し上げているのですが、僕たちが直接コントロールできるのは「行動」と「注意の向け方」の2つだけだと僕は思うのです。

 

我々は結果をコントロールしているように見えるかもしれませんが、実際に僕たちができるのは、「行動」をコントロールして結果に働きかけるところまでなのではないでしょうか。

 

つまり、「やるかやらないか」はコントロールできても、「できるかできないか」はコントロールできないのです。

 

完璧主義で苦しむ人にとって、このニュアンスの違いはとても大きなものであると僕は感じています。

 

結果を「こうあるべきだ」とジャッジし、そのようにできない自分を否定することは、実は全くナンセンスなのです。

 

※もちろん、そのような思考も自動的に起こってしまうものなので、責める必要はないのですが。

 

これは努力など無駄だとか、結果を気にしてはいけないということではありません。

 

むしろその逆です。

 

望ましい結果を欲するのは人情ですから、結果は気になって当然でしょう。

 

結果がコントロールできないからこそ、望ましい結果に近づけるように「行動」することは尊いのだと僕は思います。

 

しかし、「行動」のベースとなるのはあくまで「存在」であること。

 

これを体感レベルで知っていることは、結果への執着を手放すうえで非常に有効でした。

 

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そして自分に優しくなる

 

これらの洞察から、僕はこれまで、いかに「できない自分」を許してこなかったかに気づきます。

 

「これはできない」「ここまでにしてほしい」と心が訴えていることでも、無理にさせようとしてきました。

 

僕は誰かと競争していたのではなく、自分と戦っていたのです。

 

「やってもできないこと」はもうやらなくてもいいのだ。

 

そう感じられるようになりました。

 

それからというもの、少しずつ僕は自分に優しくなっていきました。

 

そして、自分に優しくなるに伴い、他者にも優しく接する余裕が生まれるようになりました。

 

他者を思いやるには、まず自分から。

 

これらの経験から、僕は強くそう感じます。

 

さて、僕に現れたマインドフルネスの効果について、数回に渡って述べてきましたが、いよいよ次回、この連載記事のまとめとさせていただきたいと思います。

 

(続く)

 

マインドフルネスの効果について証言④ ~直感が磨かれる~

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マインドフルネスを実践し、僕はどのような効果を感じたのか。

 

この記事では、マインドフルネス経験者の一人として、その証言を行っています。

 

僕はマインドフルネスでどのように生きづらさが改善されたのか。

 

少しでもそれらをお伝えできれば幸いです。

 

↓↓この記事の目的と注意事項を記しています。 

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 今回は僕に表出した効果のうち、直感が磨かれるということについてお話ししたいと思います。

 

「感じ方がわからない」という苦しみ

 

生きづらさを抱えた人から、「自分の本当の感じ方がわからない。」という声をよくお聞きします。

 

僕もかつてはそうだったので、よくわかります。

 

アダルトチルドレン愛着障害と言われるような心の癖があったので、よく自分が自分ではない感覚になることがありました。

 

前回の記事でも触れましたが、日本では大人が子供の「感じ方」にまで口出しをする傾向があるかと思います。

 

あなたも子供の頃、大人に自分の素直な「感じ方」を訴えたときに、激しく非難や叱責をされたことがあるかもしれません。

 

そうしたことが続くと、自分の「感じ方」が信じられなくなってしまうのは無理もないことでしょう。

 

ここではこんなふうに感じていいのだろうか。

 

自分が今感じている「好き」は、本当に「好き」なのだろうか。

 

自分の「感じ方」は本当に「正しい」のだろうか。

 

そのように思ってしまうのですね。

 

しかしそれは決してあなたが「悪い」わけでも「弱い」わけでもありません。

 

あなたの「感受性」が強いからなのだと僕は思っています。

 

なぜなら、生きづらさを抱える人は、総じて「感受性」が高い傾向がありますので。

 

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「感じ方」は思考を超越する

 

マインドフルネスを実践することで、僕は自分の思考や感情を「自ら評価を下さずに」観察する習慣を身につけました。

 

また、思考に囚われそうになったときは、体の感覚に注意を向けられるようになっていきました。

 

そのことによって、「感じ方」は思考を超えたところにあるということを感じるようになりました。

 

様々な内容の思考が自動的にポンポンと起こります。

 

たしかにそれらは自分の中に存在していますし、内容によっては不快さを伴います。

 

しかし、それらは空にかかる雲のようなものです。

 

どんなに厚く雲がかかっていようと、それらの上層には変わらず青空が広がっている。

 

同様に、どんな思考が起ころうと、その向こう側には「感じ方」という空がある。

 

つまり、深い意味において、「感じ方」は自分にとって不変のものなのだ。

 

自分が今、感じていることこそ、「感じ方」の「正解」なのだ。

 

※もちろん「感じない」のであれば、それがあなたの「正解」です。

 

そう気づいたのです。

 

「感受性」を活かす

 

この気づきによって、僕は自分の「感じ方」を信じられるようになりました。

 

それに伴い、直感が磨かれるようになりました。

 

皆さんもあるのではないでしょうか。

 

「何か違和感がある。」とか「なんとなくこれがいい。」と感じる場面が。

 

これは直感が働いているときに現れる感覚です。

 

それらの感覚を信じられるようになることで、僕は思考に振り回される機会が減りました。

 

現代は思考偏重であると感じます。

 

僕も子供の頃から、周囲によって論理的思考の大切さを教え込まれました。

 

もちろん思考が人間に備わった偉大な能力であることは、僕も大いに認めるところです。

 

思考と直感は車の両輪ではないでしょうか。

 

どちらか一方だけあればいいというものではなく、どちらも大事なのではないでしょうか。

 

どちらを多用するかは、個人差があるかと思います。

 

思考が得意な人であれば、直感より思考を多用するということは自然でしょう。

 

要は自分にとって程よいバランスであることが重要ではないでしょうか。

 

しかし、前にも触れましたが、生きづらさを感じている人は「感受性」が高い傾向があるかと思います。

 

また、考えすぎてかえって裏目に出てしまうという人もいるでしょう。

 

それなら、直感を磨いてみてはどうでしょうか。

 

それによって、ものごとが好転するかもしれませんよ。

 

少なくとも僕は、直感が働く機会が増えることで、選択に迷ったり、その選択に後悔することが少なくなったように感じます。

 

せっかくあなたに備わった「感受性」という才能なのです。

 

鈍感な人や能天気な人の真似をしようとするのではなく、その才能を活かしてみるのもいいかもしれません。

 

(続く)

 

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マインドフルネスの効果について証言③ ~思考・感情との関わり方を知る~

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この記事では、数回に渡って、僕に表出したマインドフルネスの効果を、経験者の一人として証言しています。

 

さて、前回記事では、マインドフルネスの効果として体感した効果のうちの根幹となる部分、「あるがままの自分に近づく」=「自己解放」について触れました。

 

前回記事

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今回からは、僕に現れたマインドフルネスの体感のうち、枝葉の部分についてお話しします。

 

思考・感情の抑圧

 

僕はマインドフルネスを実践し、気づきを得るまでの間、「こうあるべきだ」という自分像に囚われていました。

 

特に、思考・感情について、「こんなことを考えてはいけない。」「こう感じるべきではない。」というタブーでがんじがらめになっていました。

 

恐らく、僕以外にもそのように苦しんでいる人は数多くいらっしゃることでしょう。

 

それは無理のないことかと思います。

 

日本では、養育者が子供の在り方や感じ方にまで口出しをすることが、あたかも当然のことのように行われる傾向がありますので。

 

(これは日本に限らず、東アジアの習慣的風習らしいです。)

 

自分の「あるがまま」の思考・感情を、いけないことだと抑圧してしまう。

 

また、常に自分の心を監視しているような息苦しさにも見舞われます。

 

僕も経験者なのでよく分かりますが、これは本当につらいことだと思います。

 

ポジティブシンキングの罠

 

僕は当初、ポジティブシンキングによって、この苦しさから抜け出そうと試みました。

 

自分の思考・感情に善悪の判断を下し、悪とみなしたもの、つまりネガティブなものをポジティブなものと置き換えようとしたのです。

 

もちろんこうした方法が上手くいく人もいるでしょう。

 

しかし、僕にとっては形を変えた思考・感情の抑圧でした。

 

ポジティブではない思考・感情を「こうあるべきではない。」と攻撃するようになったのです。

 

ネガティブな思考・感情が起こったときは、「ポジティブなものに置き換えなければ」と善悪の判断を下す。

 

そして、ポジティブなものに置き換えられなかったときは、「これではいけない。」と自分を責める。

 

身動きが取れない窮屈さでした。

 

思考・感情のコントロールを手放す

 

しかし、マインドフルネスの実践によって、僕は「自ら評価を下さない」という姿勢を少しずつ身につけることとなります。

 

そのことにより、思考や感情には真の意味で善悪などなく、それらは自分のコントロールの範疇を超えたものであるということに気づいていきました。

 

つまり、考えは正そうと思って正せるものではないし、正す必要もないのです。

 

一度感じた感情は、別のものに置き換えることはできないのです。

 

そのようにできる人もいるのかもしれませんが、僕の場合は、思考・感情に対してそのように関わることは、極めて非効率的であるということが分かったのです。

 

それからというもの、僕は思考・感情に対するコントロールを手放すようになっていったのです。

 

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思考・感情との適切な関わり方を体感する。

 

マインドフルネスの実践によって、僕は心をいじくりまわすことをやめました。

 

そして、考えとは距離を取って、客観視ができるようになっていきました。

 

感情は、快なものもそうでないものも、どちらもなるべくそのまま感じるようにしました。

 

ネガティブなものもポジティブなものも、両方の存在を認め、起こるがまま・去るがままにさせます。

 

すると少しずつ、時と場合によって、同調するものを選べるようになっていきました。

 

もちろんマインドフルネスも魔法ではありません。

 

今でも時折、同調したくないものに同調してしまい、心が乱れたり、感情的になることもあります。

 

しかし、我々も人間ですから、たまにはそんな自分でもいいのではないでしょうか(笑)

 

思考・感情との適切な関わり方は、マインドフルネスの枝葉の気づきだと述べましたが、僕にとっては、非常に重要な気づきの一つでした。

 

というのも、僕にとって、癖の強い自分の思考・感情というのは、どう付き合っていいかわからない「モンスター」でしたから。

 

それらとの関わり方を知るということは、長年の生きづらさを改善する大きな一歩となったのです。

 

これは僕にとって、かけがえのない成果物でした。

 

(続く)

 

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マインドフルネスの効果について証言② ~「あるがままの自分」に近づく~

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僕はマインドフルネスと出会って、約2年が経ちました。

 

2年間、ほぼ毎日欠かさず瞑想を続けています。

 

その過程で、生きづらさを改善する様々な効果が現れています。

 

これから数回に渡って、僕に表出したマインドフルネスの効果を証言します。

 

前回記事に、僕が伝えたい意図や注意事項を書いていますので、ぜひご一読いただきたいと思います。

 

前回記事

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「自己解放」

 

マインドフルネスを実践する過程で僕が感じられた、もっとも根幹となる実感。

 

それは、少しずつ「あるがままの自分」に近づいているという感覚です。

 

自分で使っておきながら、こんなことを言うのは何ですが、僕はこの「あるがままの自分」という表現が、実はあまり好きではありません。

 

「あるがまま」を、何か特別な状態であるかのように感じられる方がいらっしゃるのではないかと感じるからです。

 

いつでも「素」の自分で、何事にも動じない。

 

そんな風になれるのではないかと期待するかもしれません。

 

もちろん、そうなれる人もいるかもしれませんが、そこまで望むのはちょっと期待過剰ではないかなと思います。

 

ここで言う「あるがままの自分」というのは、それとはちょっと違います。

 

「こうあるべき」というこだわりを少しずつ手放していく、そんな姿勢でいることです。

 

※手放すのは自分に不要なこだわり(=執着)だけです。本当に必要なこだわりは、自然と残り続けるでしょう。

 

つまり、思考で作られた自分の虚像から自分を解放していくということです。

 

僕はこれを、「自己解放」と呼んでいます。

 

このブログタイトルの「本質」とは、「自己解放」が進むにつれて浮き彫りになる、いわば「真の自分」です。

 

つまり、ここで言う「あるがままの自分」と「本質」は、ほぼイコールのものだと捉えていただければと思います。

 

ただ、「あるがままの自分」は、なじみのある言葉だと思いますので、皆さんに分かりやすいように、あえてここでは使わせていただいています。

 

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ネガティブだと感じる自分の特性を許す。

 

「自己解放」が進む過程で、これまで自分でネガティブだと感じて、正そうとしてきた特性も、少しずつ許せるようになっていきました。

 

僕はよく、内向的だと評価されることが多く、かつてはそんな自分が受け入れられませんでした。

 

コミュニケーションマニュアルに載っているような、社交的で陽気な性格でなければいけない。

 

そう思い込み、そのような自分を演じようともがいていました。

 

しかし、マインドフルネスの実践を続けることで、内向的な自分のままでいいのだと認められるようになりました。

 

さらに言えば、内向的であることに「良い」も「悪い」もないのではないでしょうか。

 

赤道直下の地域が高温多湿なように、日本海側の地方が曇りがちなように、人間にだって変わらない性格の傾向があって当然だ。

 

みんながみんな、努力をすれば社交的な人間になれるという訳でもないだろうし、そんな必要もないだろう。

 

そう感じられるようになったのです。

 

つまり、内向的な性格が、僕の「本質」なのです。

 

※これは安易なレッテル貼りではなく、あくまで傾向として述べています。

 

それが認められたことで、僕はひとつの大きな重荷から解放されたのです。

 

今ではむしろ、この内向的な性格を気に入っています。

 

そして、これを活かして独りの時間を楽しむ術を身につけています。

 

このように、「自己解放」によって「本質」に近づくことは、自分にとって余計な荷物を手放して、楽に生きることなのです。

 

そして、「本質」を活かせば、自分の持ち味を効果的に発揮することができるようになるでしょう。

 

では、次回以降、僕に現れた効果のうち、枝葉の部分についてお話ししたいと思います。

 

(続く)

 

マインドフルネスの効果について証言① ~これだけは伝えておきたいこと~

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ここから数回に渡り、僕がマインドフルネスを実践して、実際にどのような効果が感じられたのか。

 

それをお話ししましょう。

 

こういった記事はブログ作成の初期段階で公開することが多いと思います。

 

なぜブログの開設から一年以上経った、このタイミングなのか・・・。

 

それは、情報の陳腐化を避けるためです。

 

ブログ設立段階初期は、僕自身、マインドフルネスを実践することで、新たに気づくことがまだまだあるはずだという、確信めいた予感がありました。

 

ある程度自分に納得ができるときが来るまでは、瞑想の効果について軽々しく言及したくないという想いがあったのです。

 

深い生きづらさに対処するなら、ターゲットを絞る必要がある。

 

また、僕はマインドフルネスに出会い、その実践に至るまでの間、長年に渡り、自身の生きづらさを改善するために、書籍やインターネットで様々な実践法を求めてきました。

 

それらの中には非常に有効なメソッドや、大いに参考となる情報はありました。

 

※いずれ、それらもこのブログの中でご紹介できればと考えています。

 

しかし残念ながら、多くは、マニュアルを書き写したような当たり障りのない浅い情報だったり、その人だからできる方法を、あたかも「誰でもできる」かのように語るものだったりしました。

 

もちろんそれらに救われる人もいるでしょう。

 

ですが・・・

 

「これらの情報では、深い生きづらさを抱えた人の支援には不十分だ。

 

やはり、深い生きづらさを感じる人に対して本気で支援をするのであれば、ターゲットをはっきりと絞って行う必要があるだろう。」

 

僕は強くそのように感じるようになりました。

 

生きづらさと一言で言っても、人の悩みは十人十色です。

 

何にしてもそうですが、誰にでも適応できる便利なメソッドなど、まずないと僕は思っています。

 

マインドフルネスは、万能薬や魔法ではない。

 

ですから、これだけははっきりと申し上げておきたい。

 

マインドフルネスは万能ではありません。

 

それだけですべての悩みが解決するというような魔法でもありません。

 

また、誰にでも同じような効果が保障されるものでもありません。

 

そして最後にものを言うのは、皆さんの実践次第です。

 

なんだか、このように言うと、夢や希望を挫いてしまうようで申し訳ない部分はあります。

 

しかし、僕は主に、深い生きづらさから抜け出したいと、散々自分を変える努力をしてきた人を支援したいと考えています。

 

そして、巷にあふれるポジティブ思考などの実践が上手くいかなかった人に対して、それらとは違う切り口から、有益な情報をお伝えしたいと考えています。

 

ですから、皆さんにはこれ以上、このブログで同じ思いをしていただきたくないのです。

 

そのことをご理解いただいたうえで、この記事を参照していただければ幸いです。

 

マインドフルネスは、生きづらさ改善の有効なメソッド

 

色々述べましたが、マインドフルネスの実践は、生きづらさを改善するためのメソッドとして、非常に有効であることは間違いがないと、僕は確信しています。

 

そのメカニズムや効果については、科学的に説明できない部分が大いに含まれることも否めません。

 

科学で説明できることなど、この宇宙の事象の内のほんのごく一握りにすぎないでしょう。

 

僕が長年感じた心身の不調すら、科学で解明できなかったのですから。

 

そしてそれらは、マインドフルネスの実践や瞑想によって、大きく改善したのですから。

 

ある程度の気づきを経て、今、次の段階へ移行するときが来ました。

 

僕は経験者の一人として、マインドフルネスの実践によって実感した効果を、この記事で証言したいと思います。

 

(続く)

 

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感謝できない自分を責める必要はない

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皆さんは、感謝できない自分を恥じたり責めたりしたことはありませんか。

 

もしかしたら、幼い頃、養育者から感謝を強要されるような雰囲気の中で育った方もいるかもしれません。

 

また、巷の心理読み物やポジティブ思考の指南書などを見ると、一つ覚えのように「感謝しましょう。」と書いてあるかと思います。

 

それらを深刻に捉えて、「感謝しなければいけないのか。」と考えてしまう。

 

そして、無理に感謝しようとして、苦しくなってしまう。

 

もしくは、とても感謝できないような言動をする相手に対して怒りをぶつけ、自己嫌悪に陥ってしまう。

 

「感謝できない自分は人としてダメなのではないか。」

 

こうも「感謝しましょう。」と言われると、そのように思い詰めてしまって当然ではないでしょうか。

 

僕もかつてはそうでしたから、よく分かります。

 

感謝できるかどうかは、自分でコントロールできない

 

たしかに感謝の心には心地よいエネルギーがありますので、感謝できるに越したことはないかと思います。

 

しかし、ポジティブ思考の指南書の多くには、誤解を招きかねない漏れが存在していると僕は感じています。

 

それは、感謝の心とは、起こそうと思って起こせるものではないということです。

 

さあ、感謝するぞと言って、何かスイッチを押したら即感謝できる、なんていうムシのいいものではないのです。

 

感謝の心は必要なときに自然に湧いてくるものなのです。

 

だから、今、感謝できなくてもいいのです。

 

感謝の心は自然現象

 

感謝は、自分ではコントロールできない自然現象なのです。

 

つまり、自分の意志に関わらずに降る雨のようなものです。

 

だから、やたらと感謝を勧めるポジティブ思考は、雨を降らせるために雨乞いをしましょうと言っているようなものなのです。

 

そのような意見を真摯に受け止め、「雨乞いをしたのに雨が降らない。」と嘆いて自分を責める必要があるでしょうか。

 

今は自分を癒すとき

 

「そんなこと言っても、いつまで経っても感謝の心なんて湧いてこないんだ。」

 

「この先だって感謝できるかどうか分からない。」

 

そう心配される方もいらっしゃるかもしれません。

 

もしかしたら、あなたはまだ心の傷が深く、今は自分を癒す必要があるのかもしれません。

 

自分の傷が癒えていないのに、無理に何かを・誰かをありがたがろうとするから、余計に苦しくなるのではないでしょうか。

 

「感謝するべきだ。」と自分自身に感謝を強いれば、ますます感謝の心から遠ざかっても当然ではないでしょうか。

 

一度、感謝することを脇に置いてみてはどうでしょうか。

 

あなたの傷が癒えるに従い、少しずつ感謝が湧き上がってくることでしょう。

 

僕も、感謝をしようとすることをやめることで、心から感謝できるようになっていきました。

  

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