盲信に陥らないために、疑うことは大切ではないでしょうか。
しかし疑うとはいっても、疑惑とは違います。
そこに評価や判断は必要ありません。
評価をしないで淡々と疑います。
何かを納得しようとしなくていい。
感情的なものをなるべく含ませず、「それは本当だろうか?」を問い続けます。
自分が感じたこと以外はすべて疑っていいでしょう。
世間で常識と言われることを疑います。
人の意見を疑います。
自分の考えを疑います。
たとえ自分にとって都合のいい理論であっても疑ってみます。
尊敬する人の意見であっても、それが本当か自分に問うてみます。
(むしろそういうものこそ疑ったほうがいいかもしれません。)
それが本当かどうかは分からなくていい。
この問いは、答えを出すためでも、何かを自分に納得させるためでもないから。
理解につながるひとつの方法だからです。