本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

夢は持たなくてもいい

まだまだ世の中は、挫折を良くないことだと捉える風潮があるようです。

 

たしかに挫折をしたときの敗北感、悔しさ、空虚さはとても苦しいものです。

 

まるで自分という存在が否定されたかのような気分になるときもあるのではないでしょうか。

 

それまでに自分が投資してきた時間・労力は一体何だったんだ。

 

過去を恨みたくなる気持ちにもなるでしょう。

 

ネガティブな感情を感じることさえ否定するような成功哲学的思考においては、挫折はあるまじきものかもしれません。

 

挫折は敗北だ。

 

そういう考え方もあると思います。

 

私もかつてはそう思っていましたから、よくわかります。

 

しかし挫折を多面的に観察してみると、案外それだけではないことに気が付くでしょう。

 

叶わずに苦しむような夢なら、あきらめてもいい

 

「あきらめなければ夢は叶う。」という教義があるかと思います。

 

私はこれが正しいか誤っているかはわかりません。

 

正しくもあるでしょうし、誤ってもいるでしょう。

 

信じたい人は信じればいいと思います。

 

しかし、もしあなたが強い理想や目標(=夢)を持ち、それに対して努力を重ねているにもかかわらず、それが叶わずもがき苦しんでいるなら、その夢をあきらめてもいいのではないでしょうか。

 

その夢は今のあなたにとって、叶わないほうがいいものなのかもしれません。

 

それがいかに世間的に良いとされるものであっても、あなたには必要がないものなのかもしれません。

 

ただし、安易に決めてしまわないほうがいいでしょう。

 

あなたの本心がまだそれをあきらめたくないのなら、無理にあきらめようとしないほうがいいかもしれません。

 

あなたの本心が答えを出すまで結論を保留してみるのもいいかもしれません。

 

それはとても苦しいかもしれませんが、今あなたに必要な努力は、むやみに行動することよりも待つことなのかもしれません。

 

ネガティブな感情に一度身を委ねてみる

 

挫折をしたとき、悲しみ・虚しさ・悔しさ・怒りなど、さまざまなネガティブな感情が沸きあがってくるでしょう。

 

まるでこれらの感情を無理に振り払うかのように、気丈に振舞っている人をよく見かけます。

 

もちろんこうした方法がうまくいっているなら、それでいいでしょう。

 

しかし、私には強がっているように見える人もいます。

 

なぜネガティブな感情に居場所を作ってあげないのでしょうか。

 

ネガティブな感情そのものを悪とするような考えを妄信しないことをおすすめします。

 

ネガティブな感情は、今のあなたに必要だから起きてきているのではないでしょうか。

 

ポジティブとネガティブはアクセルとブレーキです。

 

適切に関われば、それらはあなたを目的地へと快適に運んでくれるでしょう。

 

若干話が逸れました。

 

挫折をしたとき、あなたの心身は多少なりともダメージを受けているはずです。

 

あなたには回復する期間が必要なのかもしれません。

 

やる気が起きないときは、あなたの心と体が休みたがっているのかもしれません。

 

一度、ネガティブな感情に身を委ねてみるのもいいかもしれません。

 

ネガティブな感情を抑えるよりも、そのほうが精神疲労の回復が早いはずです。

 

そして、自然とやる気が起こったときに、また行動すればいいのではないでしょうか。

 

このやる気は、挫折した目標に対してかもしれませんし、そうでないかもしれません。

 

いずれにせよ、このやる気に対して素直になればいいのではないでしょうか。

 

※注意※

ネガティブな感情に浸る際は、なるべく「他を侵さないよう」注意しましょう。

怒りに任せて何かを破壊したり傷つけたり、相手の事情を顧みずに自分の身の上話や愚痴を延々と聞かせるようなことは、慎んだほうがいいでしょう。

 

挫折から受け取るもの

 

挫折は本当に、単に敗北しただけなのでしょうか。

 

たしかにその目標を達成したかどうかというレベルで見れば、敗北かもしれません。

 

しかし、その目標だけがこの世のすべてではありません。

 

あなたにとって、それ以外にも大切なものはきっとあるはずです。

 

もしくは、あなたに見合った目標があるかもしれません。

 

挫折をすることで、あなたはそれ以上の無駄なエネルギーの消費を抑え、別の方向に舵取りをすることができるのです。

 

そして、あなたが挫折するまでに行った努力はきっと、あなたに色々なものを授けているはずです。

 

経験・知識・技術・友人 など

 

だから、それまでの努力のすべてが無駄というわけではないはずです。

 

あなたが生きているかぎり、いずれそれらが役に立つときがくるかもしれません。

 

あきらめない対象を誤解しない

 

私は、夢はあきらめてもいいと思っています。

 

しかし、「生きること」だけはあきらめないでおこうと思っています。

 

これは自殺はいけないとか、そういう倫理レベルの話ではありません。

 

成功しようと挫折しようと、

 

心地よくても苦しくても、

 

どんな状態であっても、

 

それが良いとか悪いとかいう判断にかかわりなく、

 

今、ここに自分という生命が存在しているということは、紛れもない事実だからです。

 

だから、命がある間は生きる。

 

夢はそのための手段のひとつに過ぎないのではないでしょうか。

 

極論に聞こえるかもしれませんが、夢は持っていなくても死にはしません。

 

だから持っても持たなくてもいい。

 

旅行はしてもしなくても生きていけるでしょう。

 

したい人はすればいいし、したくなければしなければいい。

 

そういう意味では、夢は旅行と同じレベルです。

 

生きるための絶対条件ではありません。

 

だから、囚われる必要はないのです。

 

もちろん、これは私の考えであって、あなたはそう思えなくても何も問題はありません。

 

しかし、私は紆余曲折を経て、心からそう思っています。

 

そして、そう思えてからは、生きるのがとても楽になりました。