魂のふるさと
私はいま、岐阜県の山間の村に一時滞在しています。
清流・長良川沿いの素朴な農村といったところでしょうか。
私は10数年前、ひょんなきっかけでこの村を知り、その魅力にとりつかれました。
以来、自宅から350kmほど離れたこの村に毎年のように通っているのです。
この村の魅力は、霊峰・白山から贈られた美しい水と、人々のおおらかな雰囲気です。
そして、何といっても夏の時期に開催される盆踊り。
私はこの魅力のとりこになりました。
10数年前、当時私は仕事になじめず、職場の人間関係でつまずき、精神を病んでいました。
その不全感を埋めるかのように、楽しいことを追い求め、各地を旅していました。
そして、雑誌でこの盆踊りの記事を目にしました。
「楽しすぎてトランス状態になる。」というようなことが書かれていたかと思います。
大げさに書いているんだろうと疑いながらも、そんなに楽しいというのなら一度行ってみようと思いました。
この盆踊り、7月~9月に20~30夜開催され、2、3時間ほどエンドレスで何曲も踊ります。
(盆の期間は徹夜で踊ります!)
私が驚いたのは、その懐の深さです。
地元民に限らず、誰でも参加可能。
参加受付もなく、当然、参加料も無料です。
そして、好きなときに輪に入り、好きなときに出ていい。
どんだけ自由なんだよ!
当時私は、「ねばならない」の価値観でがんじがらめになった自分の生活が窮屈でしょうがありませんでした。
なので、この自由さは私にとって、なんだか救いのようでした。
踊りの囃しが聞こえてくると、それまで冷めていた心がまさに踊り出します。
踊りの間、私は何かに憑依されたかのように、我を忘れて没頭します。
誰かとの会話があるわけでもなく、ただ黙々と踊りつづけます。
自分の踊りが上手いか下手かもわかりません。
わからないというより、そんなことどうでもいいのです。
ただ、場の空気と一体になる。
それが心地よくて仕方がないのです。
今年も我を忘れて踊り、そのあとコンビニでおつまみを買い、独りで酒を飲みます。
そして、静寂のなか眠るのです。
ただ身を置くだけで安らげる場所。
理屈や思考ではなく、感性が求めているのかもしれません。
ここは私にとって、魂のふるさとなのです。