「仕事」とは何か
世間一般に「仕事」というと、報酬を得るための「労働」のことを指していると思います。
私も長らくそう思っていました。
せっかくやるなら好きなこと「仕事」にしたい。
でも、金にならなければ「仕事」じゃない。
人の役に立たなければ「仕事」じゃない。
だから、好きなことなんて「仕事」にできない。
そう決め付けていました。
しかし今、私はこの見解は違っていたと思っています。
好きなこと = 「仕事」 ではないか。
今はそう思っています。
しかし、誤解のないようにしていただきたいことがあります。
決して私は、好きなことを生業として生計を立てましょうということが言いたいわけではないのです。
結果的にそうなる可能性はじゅうぶんにあります。
しかし、順番が逆なのです。
私は「仕事」とは、世間一般で言われているような定義と違うものではないかと思っているのです。
それは、生計が立てられるかどうかは関係ないと思っていますし、必ずしも労働の形式をとっているともかぎらないと思っています。
私たちそれぞれになかば習性として備わっている、理屈抜きに好きで、長年継続してやっている習慣。
いわゆる「ライスワーク」ではなく「ライフワーク」です。
これこそが本来の、私たち固有の「仕事」ではないかと思うのです。
私の場合、現在、生業としてサラリーマンをしています。
しかしこれは生活のためと割り切って行っている「ライスワーク」です。
これとは別に、心理学や哲学を勉強したり、瞑想をしたりと、生き方を探求しています。
また、各地を旅して地域の雰囲気、風土、歴史、文化に触れ、自分の感性を磨いています。
これには現在、何も報酬は発生していません。
正直いって、人の役に立っているかどうかもわかりません。
世間一般の枠組みでいけば、単なる趣味かもしれません。
しかし、私にとってはそんなことはどうでもよく、ずっと好きで続けていることです。
ここに理屈はありません。
金になろうがなるまいが、人の役に立とうが立つまいが、おそらくこの先もずっとこれをやり続けるでしょう。
だから、私はサラリーマンを自分の「仕事」だとは思っていません。
(だからといって、いいかげんに働いているつもりはありませんが。)
私にとって、生き方を探求したり、各地を旅することが「ライフワーク」であり、「仕事」なのです。
そして私は焦らずとも、ときが来れば、いずれこれらが結びつき、何かを産むものと信じています。
これは無理に信じようと自分に言い聞かせているのではなく、なかば確信として自然と沸き上がってくる想念です。
ただ好きでなんとなく続けていること。
それを人がどう評価しているかは脇に置いていい。
それは決して大層なものでなくてもいいと思います。
次回はこの「仕事」におおいに関係する「才能」についてお話したいと思います。
(続く)