one of them
私はかつて、自分の価値観の外側に世界はないものと思い込んでいました。
つまり、自分が「goodだ」「OKだ」と思ったもののほかは、その存在を認めていませんでした。
では、当時の私の価値観とは何だったのでしょうか。
それは私自身の価値観というより、世間が求める「こうあるべきだ。」でした。
それは本当に私自身が信じたかったものではありませんでした。
そう信じていないと生きていけないという思い込みによるものでした。
本当はそうは思いたくないものも多分に含まれていたにもかかわらず、いやいやそれに従っていました。
しかし私は、マインドフルネスを通じて、これらの思い込みが本当かどうか、もういちど観察してみることにしました。
評価を加えず、ただ淡々と「それは本当か」と自分に問い続けました。
静かに座し、自分自身に意識を置きます。
それはつらい作業になるときもありました。
「観る」だけでも怖い、目をそむけたくなるようなものもありました。
それでも続けました。
それは、私のなかに強い違和感があったからにほかなりません。
世間で盲目的に信じられていることに対して。
もう何も疑問を持たずに従い続けることは無理だ。
心の奥底から起こる意志が、自然と私にこの作業を継続させていました。
「世間の価値観が信じるに値するものかどうか、知ってどうなるというのだ?」
「仮に信じるに値しないものだったらどうするのだ?」
「もしそうだったとして、そこから離れて生きていけると思っているのか?」
自分の心が妨害的な想念を作り出すこともありましたが、それらも併せて、評価せず観察し続けました。
すると少しずつ、わかってきました。
世間の価値観は、ひとつの「集合」にすぎないこと。
真の意味で、そこに「正しい」も「間違っている」もないこと。
しかし大勢はまだそれを「正しい」と信じている(もしくは信じているふりをしている)ということ。
そして、その「集合」の外側にも果てしなく世界は広がっていること。
自分がその結果さえ負えるならば、どの世界で生きるかを選ぶこともできるのだということ。
また、私が自分の価値観を大切に感じているのと同様、人もまた自分の価値観が大切なのだということ。
つまり、世間の価値観にとらわれる必要はないということです。
また、世間の価値観を頭ごなしに否定するのも違うのでしょう。
私は、価値観というものは、生きるうえでの道具にすぎないと思っています。
だから、それがどんなに自分にとって大事でも、その考えだけがすべてではないはずです。
それを大事にすることは実りある人生の一条件だと思いますが、それに固執する必要はまったくないでしょう。
だから、自分の価値観のうち、もう必要がなくなった部分や現状と合わない部分があることに気が付いたら、その部分を手放せばいいのです。
そして、ほかにしっくりくる価値観があるなら、それを採用すればいいのです。
もちろん、それは簡単な作業ではないかもしれませんが。
私たちが選択するものは、この果てしない世界のなかのほんの一部です。
つまり、生きる上で選択するものはすべて、「one of them」なのです。