感性で生きる
私はかつて、思考で生きていました。
論理的に考えること。
それのみが良いことだと信じていたのです。
というよりも、それしか方法を知らなかったのです。
たしかに論理的思考も大切だと思います。
他者にものごとを説明するうえで、論理的であるということは、説得力を増すからです。
しかし残念ながら、私はどうやら思考が苦手なようです。
「べき思考」が強いため、思考に頼ると「こうあるべきだ。」と考えてしまう傾向があるようなのです。
だから考えることが苦痛でした。
しかし、ほかに方法を知らないから、苦しくても思考を使い続けました。
自分で苦しみを作り出し、そのなかに自分で飛び込んでいたのです。
マインドフルネスは、私に感性を活用することの大切さを教えてくれました。
思考は人間に備わったすばらしい能力であることは私も認めるところです。
思考を適度に使うことができれば、それは私たちにとって有効な道具になるでしょう。
しかし、現代は思考優位の傾向が強いように感じます。
過度に「思考を使わなければならない。」とか、「論理的に考えなければならない。」と思ってしまったら、かつての私のように、かえって自分の考えに縛られることになってしまうかもしれません。
私は感性を活用することを知り、実はそれほど考えなくてもよいということを体感しました。
考えるよりも感じるに任せるほうが、選択にも迷いが少ないうえに、かえって考えすぎによる失敗が減ったように思います。
もちろんこれは誰にでも当てはまることではないでしょう。
決して感覚を使うことがいいことで、思考は悪いことだということが言いたいわけではありません。
私は思考と感覚に優劣があるわけではないと思っています。
これは持論ですが、人には思考優位と感覚優位のタイプがあるように思います。
どちらか片方しか使えないということではなく、どちらを使うほうが得意かということです。
自分に見合ったバランスで、思考と感覚を使い分けていくことが重要ではないでしょうか。
そのためには、自分の特性を知る必要があるでしょう。
私の場合、現在、感性7・思考3くらいの比率がしっくりきています。
もし、思考しすぎて苦しいなら、試しに少し自分の感性に身を任せてみてもいいのかもしれませんね。