僕は人混みがとても苦手です。
人が密集した場所からは早く離れたいと感じます。
満員電車に揺られて毎日通勤するような生活は、僕には耐えられないでしょう。
人間らしい自然な状態とは到底思えないのです。
しかし、これは僕の感じ方です。
満員電車に揺られながらでも、今の仕事は自分にとって好ましいからと満足して続けている人もいるでしょう。
都会のほうが住むに便利で、それに比べれば混雑は問題ではないという人もいるでしょう。
電車内で入り口付近が混雑し、通路が空いている場合、僕はできるかぎり通路に入ろうとします。
しかし、混雑した入り口付近を選ぶ人も大勢いるのです。
わざわざ人の波を縫って通路に入るのが面倒くさいから、そこに留まるほうがまだましなのかもしれません。
目的の駅に着いたときに少しでも早く電車から出たいのかもしれません。
いや、もしかしたら、混雑に身を置くことが心から好きな人だっているかもしれません。
だから、これは持論ですが、僕はみんな自分の感じ方に合った環境に身を置いていいのではないかと思うのです。
朝のラッシュに耐えて、都市部で働くだけがすべてではないでしょう。
山間部でスローライフをするだけがすべてではないでしょう。
幸い、日本には都市部もあれば、農山村や漁村もあります。
みんながみんな、都会を目指したいわけじゃない。
みんながみんな、田舎暮らしが好きなわけじゃない。
どちらが良い・悪いではなく、どこが自分にとって心地よいかということではないでしょうか。
自分の感じ方によって住む場所を選ぶことでこそ、人間の「正常分布」が進むのではないかと思うのです。
もちろん、住む場所を変えるということは、人生においてとても大きな変化と感じる人が多いでしょう。
お金がかかるかもしれないし、人間関係や仕事にも影響があるかもしれません。
だから、誰にでも勧められることではありません。
しかし、今いる場所が自分には合っていないのに、何かよくわからない罪悪感のようなもので「ここにいなくてはならない。」と考えてとどまっているくらいなら、旅に出てみてもいいのではないでしょうか。
イワナはフナが好むような栄養の多い水辺では生きられません。
みんながみんなフナではないのです。
そして、イワナはフナではありません。
現代社会では、みんながフナのようにタフであるべきだと思っているように感じます。
もしあなたがイワナだと自覚したのなら、フナのように生きられないことに罪悪感を感じる必要があるでしょうか。
フナと同じ河でフナと同じように泳ごうとする必要があるでしょうか。
寿命を縮めてまでその泥が多い河で泳ぎ続ける必要があるでしょうか。
イワナにとって生きやすい河で泳げばいいのではないでしょうか。