人があなたに付けたイメージは断片的なものでしかない。
ある意味的を得ている部分もあるかもしれないが、それはあなたの一部を切り取ったものにすぎない。
僕もかつてはよく言われたものだった。
おとなしいとか礼儀正しいとか、真面目だとか慎重だとか。
恐らく、多くの人の目にはおおむねそのように映っていたのだろう。
そして、それらの評価通り、表面上にはそうした気質がよく現れていたのかもしれない。
以前はよく、そのイメージこそが真の自分であると信じて、そちらに自分を合わせていた。
いつしかそんなイメージがとても窮屈になっていた。
だが果たしてイメージ通りの自分だけかというと、全くそんなことはない。
僕にも自己顕示欲もあれば、ユーモアの心だって持っているつもりだ。
人が自分に対して持つイメージというものは大体そういうものではないだろうか。
丸っぽい図形を見て、これは丸だと言うようなものだ。
それは丸っぽいというだけで、へこみやでっぱり、角ばった部分もあるかもしれないのだ。
人があなたに付けたイメージに囚われる必要はない。
あなたはもっと広大で深淵な存在だ。
人は便宜上、イメージという狭い枠組みにあなたを当て込んでいるだけだ。
もちろん、あなたがトレードマークとしてそのイメージを気に入っているのなら、それを利用してもいいかもしれない。
だが、そこに縛られてしまうのは非常に不自由だし、あなたの可能性を狭めてしまうと僕は思うのだ。
少しずつでもいい。
イメージというちっぽけな虫籠から脱してもいいのではないだろうか。
もっと自分に素直になってもいいはずだ。
もっと自由に表現してもいいはずだ。
あなたという存在は、無限なのだから。
人と争わなくても、人を傷つけなくても、むやみに自分を主張しなくても、あなたは自由に自分を表現できるはずだ。