現代で自由に生きていくためには、依存を減らしていく姿勢が必要であろう。
ここでいう依存とは、人の力を借りないことではない。
むしろ自分が困っているときに必要な支援を依頼することは、自律的な態度であるといえるだろう。
ここでは、自分の期待を押し付ける態度の全般を依存と呼ぶこととする。
人が自分の思ったとおりに動かなかったときに不満を感じること。
これも依存である。
レストランで注文した料理が出てくるのが遅いからと、腹を立ててウェイターに文句を言うこと。
これも依存である。
自分の期待が正しいとか理にかなっているとかいうことは、ここでは問題にしていない。
どんな期待であれ、それを相手に押し付けること。
それが依存なのだと、僕は思っている。
しかしここでご注意いただきたい。
僕は依存が悪だと言うつもりはない。
恐らくそれは、人間の性なのだと僕は思う。
依存を減らすことはできても、完全になくすことはできないだろうということだ。
どんなに自立した人であっても、やはり多少は何かに期待し、甘えてしまうこともあるだろう。
さきほどのレストランを例に取ってみよう。
この客が、料理が出てくるのが遅いと感じたことは真実だろう。
だから、早く料理を出してくれるよう依頼することは適切な処置であるといえる。
ただ、文句を言う必要が本当にあるのだろうか。
大抵の店は、苦言を呈さなくても、事情を話して依頼をすれば、それに対して応えようと尽力するのではないだろうか。
現代においては過剰な依存が人を不自由にしているといると僕は思う。
だから、依存を減らすことが大切だと感じるのだ。
他者が依存するかどうかはこちらにはコントロールはできないが、自分が依存を減らすことはできるかもしれない。
依存を減らしたいなら、依存してはいけないと考えるのではなく、自分が依存をしていることに気づくことが大切だろう。
つまり、何かに期待している自分に気づき続けることだ。
自分の期待に応えるかどうかで人をジャッジすることをやめると、人の言動に腹を立てる機会は自然と減ることだろう。
もちろんこれは一朝一夕にできるようなことではない。
しかし、忍耐強く気づき続けることで、あなたは自由へと近づいていくだろう。