感じないものを「感じない」と認めること
先日、ある人とお話をして、はっと気づくことがありました。
その方はかつて、摂食障害があったとのことで、以前は味覚を感じられなかったとか。
食べてもおいしいとも不味いとも感じなかったそうです。
僕は生まれてからずっと食欲旺盛で、味覚を感じないという状態になったことはないのですが、恐らく本人も辛かっただろうと想像します。
実は僕も、味覚ではないのですが、「感じない」ことで苦しんでいた経験があります。
詳細はちょっとここでは語れませんが(笑)
このブログでは、快を快と、不快を不快と認めること、つまり「感じるままを認めること」の大切さはよくお伝えしていました。
しかし、そのように「感じる」ことができなくて苦しんでいる人もいるのだということを忘れていたようです。
ここでひとつ、「感じない」方のために付け加えたいと思います。
それは、感じないものを「感じない」と認めることも、同じように重要だということです。
なぜかといいますと、これは僕の経験則でもありますし、さきほどの摂食障害を経験された方も言っておられたのですが、「感じる」ためにはリラックスが必要ではないかと思うのです。
もしそこに、「私はこれを感じて当然だ。」という思い込みがあれば、「感じない」ことに対して「感じなければ」というプレッシャーが起こるでしょう。
すると、ますますリラックスが難しくなり、感じにくくなってしまいます。
果たして本当に、「感じない」ことは異常なのでしょうか。
みんながみんな、同じ刺激に対して同じように感じられて当たり前なのでしょうか。
実際のところ、「感じ方」というのは人によって千差万別ではないでしょうか。
もちろんそのときの心身の調子に左右されることもあるでしょう。
つまり、「感じ方」に正解はなく、あなたの「感じ方」は、そのときのあなたにとっての事実なのです。
ほかの人が「感じる」ことでも、自分には「感じない」ということは、十分あり得ることです。
実は「こう感じるべき」という感覚はないのです。
だから、もし何も感じないのであれば、まずは「感じない」ということを認めてみてはどうでしょうか。
もちろんここで様々な思考や感情が起こるのも無理はないと思います。
なぜ自分はこれが感じられないのだと焦ることもあるでしょう。
でもそれでいいのです。
その思考や感情が起こることもまた、今のあなたにとっての事実なのです。
それを押し殺す必要はないのです。
ある程度抵抗なく、感じないものを「感じない」と認められるようになると、「感じない」ことに対して、それほど否定的な思いはなくなるかもしれません。
もしくは、少しずつそれが感じられるようになるかもしれません。
ジョン・カバットジン博士が提唱する「マインドフルネスストレス低減法」において、「ボディスキャン」というワークが、まさにこの練習にうってつけでしょう。
つまり、あなたのあるがままの「感じ方」を認めるためのトレーニングといえます。
「感じない」ことで悩んでいない場合でも、リラックスすることが苦手という人には有効だと思います。
忍耐強く行えば、あなたの感受性は磨かれることでしょう。