考えを正す必要はない
皆さんは自分の考えのうち、自分にとって都合が悪いと思うものを正そうとして、それらと闘った経験はありませんか。
しかし、瞑想を実践すると、そうした関わり方は非建設的であることに気づくでしょう。
自動的に起こる思考は、議会の野次と同じようなものです。
それが起こることも、その内容も、実は自分でコントロールすることはできないのです。
巷のポジティブシンキングの書籍などを読むと、あたかも思考は自由自在に操れるかのように感じるかもしれません。
しかし僕は、思考と感情は基本的に直接コントロールできないものと捉えています。
議会でも野次を黙らせて議事を進めることが非効率的であるように、僕たちも思考をいちいち止めようとしなくていいのです。
思考が起こったら、それらを止めようとしたり、内容を書き換えようとするかわりに、呼吸や体の一部など、自分にとって意識を置きやすいものに注意を向けます。
今まで思考と格闘することが癖になっている人であれば、そう簡単にはいかないかもしれません。
つい思考に引き込まれることがしばしばあると思います。
特定の思考に注意が固着することもあるでしょう。
しかし、それは誰にでも起こり得ることなので、何も問題はありません。
そんなときは思考から意識をリリースする練習も必要かもしれません。
※この意識のリリースについては、機会があれば述べようと思います。
このように忍耐強く実践すれば、思考を単なる心の出来事と捉えられる機会が少しずつ増えてくるでしょう。
まるで、議会で野次に動じずに堂々と発言する議員のように、思考に囚われる機会も減ることでしょう。
そして、このような関わり方を続けていくと、思考もまた、僕たちに対して少しずつ態度を和らげることでしょう。