本質で生きるマインドフルネス

瞑想によって私たちは、等身大の私たちになる

ポジティブとネガティブを超えて

 

※※閲覧注意※※

 

 

以下の文章は、一部のスピリチュアルに対して批判的な内容を含んでいる。

引き寄せの法則を実践している人のなかには、気分を害する可能性があると考えられる。

 

自分と異なる考えを攻撃することが目的ではない。

かつての自分と同じように、それらの意見を誤解して、強迫的にネガティブな感情の排除をしてしまっている人に、そんなことをする必要はないと気づいてもらいたくて執筆した。

 

閲覧の際にはそのことを十分にご承知いただきたい。

 

 

 

 

 

 

(以下、本文)

 

僕は生きづらさを改善するうえで、マインドフルネスや心理学のほかに、スピリチュアルの思想も取り入れている。

 

スピリチュアルのなかには、この世の真理を突いたものがあると感じているからだ。

 

「バーソロミュー」やディーパック・チョプラ博士の理論などは、心豊かに生きるための経典と言っても言い過ぎではないと思っている。

  

 

  

 

しかし、一部、スピリチュアルには、「気分本位」を助長すると誤解されても仕方がないと感じられるものも存在している。

 

僕はなるべくそういった意見から離れるようにしている。

 

 


「気分本位」とは何か。

 

それは「気分が良くならないと行動しない。」という非建設的な行動習慣である。

 

たとえば、試験が迫っているので勉強をしようと思うが、どうも気が乗らないとき。

 

気分を良くしてから勉強しようと、テレビを見たりゲームをしたりする。

 

結局いつまで経っても気が乗らず、結果、勉強をしなかったというようなケースである。

 

もちろん、誰でも多少はこうした経験はあると思う。

 

だから自分もこういうことがあったからと言って、気に病む必要はない。

 

ただ、こうした行動パターンが過剰になると、神経症的傾向を強めてしまいがちだ。

 

森田療法では、この「気分本位」を改め、「ものごと本位」で行動するように習慣づけていく。

 

つまり、気分が乗るまいが、嫌々ながらもとりあえず勉強に着手するのである。

 

すると、少しずつ手が進みだし、気が付いたら勉強が思った以上にはかどっていたというものである。

 

 


さて、本題に戻そう。

 

「気分本位」を助長するような意見とはどんなものだろうか。

 

それは、「ネガティブな気分が不幸を呼び寄せる」という脅し文句である。

 

言わんとしているニュアンスはなんとなくわかる。

 

過剰な心配が心配を呼び、不安どおりの結果が生じることがある、ということであろう。

 

たしかにそういう一面もあると僕も思う。

 

しかし、この言葉を額面どおり真に受けてしまった生真面目な人はどう感じるであろうか。

 

ネガティブな感情を悪と判断し、それらを自分の心から排除しようとするかもしれない。

 

 

 

もしあなたが、ネガティブな感情が不幸を呼び寄せるのだと恐れ、なんとかこれを追い出そうと苦しんでいるのなら、僕はあなたに言うだろう。

 

そのような意見はスルーしていいと。

 

僕は飛行機に乗るたび、この飛行機は落ちるかもしれないと心配する。

 

着陸するときには強い恐怖を感じる。

 

しかし、自分が乗った飛行機が事故を起こしたためしはない。

 

僕が生きてこうして文章を書いていることが何よりの証拠だ。

 

また、僕はよくネガティブな気分になる。

 

しかし、自分はおおむね幸せだと感じている。

 

 

 

ポジティブもネガティブも、ひとつの状態でしかない。

 

一日の気温で言うところの、最高気温と最低気温のようなものだ。

 

その状態を切り取って、ポジティブだから良い、ネガティブだから悪いというのは短絡的ではないだろうか。

 

幸福は本来、ものごとの結果に依拠するものではないと僕は考えている。

 

つまり、ポジティブやネガティブを超越したニュートラルなところに幸せはあるのではないだろうか。

 

それこそ、スピリチュアルの大家のディーパック・チョプラ博士も述べている。

 

「理由のある幸せは形を変えた不幸である。」と。

 

 

 

僕は、いかなる感情も自分の一部であると思っている。

 

いわば「我が子」である。

 

僕を危険から必死に守ろうとしてくれている「我が子」、つまり、ネガティブな感情に対して、「お前は不幸を呼び寄せる。」といって差別し、排除するようなことを僕はしたくない。

 

たとえ自分にとって都合が悪かろうと、なるべく平等に扱いたいと僕は思う。

 

 

 

また、僕は起こった感情は変えることができないものと捉えている。

 

変えることができないものに対して、ポジティブな感情に変われと格闘するのはナンセンスだと感じる。

 

変えることができないのなら、排除しようとするより、受け入れた方がずっと楽である。

 

感情そのものは変えられなくても、それに同調して行動するかどうかは自分で決めることができるはずだ。

 

 

 

ポジティブな感情もネガティブな感情も、そのまま味わってみてはどうだろうか。(※)

 

実は恐れていたほどの苦痛ではないかもしれない。

 

そして、その体験の先にこそ、真の幸福はあると僕は信じている。

 


※もちろんトラウマを感じるほどの体験から生じる感情に対しては、慎重に接したほうがよい。

 

 

 

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