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マインドフルネス的 情報との接し方【コロナウイルスの蔓延を受けて】

現在、世界ではコロナウイルス感染拡大の情報で持ち切りになっており、皆さんの中には不安や恐怖に心乱れている方も多くいらっしゃるのではないかと思います。

 

まずは、症状に苦しむ皆さんに、心よりお見舞い申し上げます。

 

亡くなられた方にはお悔やみを申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。

 

また、現場の最前線で従事されている医療スタッフの皆さん、お勤めお疲れ様です。

 

僕はこのブログにおいて、世間のニュースについて言及することは極力避けてきました。

 

というのも、僕にとって現代社会は過剰すぎるほど情報に溢れています。

 

ただでさえ情報過多なのだから、「自分はこうだと考える。」と信念を持って言える意見でないと、興味本位の野次か混乱の素を増やすだけになってしまうと感じるからです。

 

しかし、今回のコロナウイルスの件については、「どのように情報に臨むのか。」という姿勢について、マインドフルネスの観点からお伝えできることがあると思います。

 

皆さんの不安や恐怖を少しでも軽減する一助になれば幸いです。

 

「全体性」が大切

 

マインドフルネスでは、ものごとの「全体性」というものを重視します。

 

「全体性」とは何でしょうか。

 

ひとことで言えば、「それのみが全てではない。」と気づくことです。

 

ますます「何それ?」って感じでしょうか(笑)

 

例えば、体の一部が重篤なガンに侵されているとします。

 

「もう自分の人生は終わったのだ。」

 

恐らく大抵の方が、非常に大きな絶望感に襲われることでしょう。

 

もちろん、それは当然の心の動きであると僕も思います。

 

その苦悩たるや、余りあることかとお察しします。

 

しかし、実際に自分の体に注意を向け、冷静に観察してみると、ガンに侵された箇所以外の大半は無事であることに気づくのではないでしょうか。

 

これが「全体性」というものです。

 

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コロナウイルスの情報のみが世界の全てではない。

 

では、この「全体性」を今回の件に当てはめて考えてみましょう。

 

今、メディアやインターネットではひっきりなしにコロナウイルスの情報が流れています。

 

何だか、そんな情報にばかり触れていると、この世界にはそれ以外にニュースはないのかと錯覚してしまうかもしれません。

 

しかし、実際はどうでしょうか。

 

コロナウイルスの恐怖のみが、世界の全てではないのです。

 

コロナウイルスが蔓延していたとしても・・・

 

太陽は東から登り、西に沈んでいきます。

 

花見の自粛に関わらず、桜は咲き、散っていきます。

 

鳥はさえずっています。

 

愛するあなたのパートナーは、ベランダで洗濯物を乾しています。

 

そして地球は回り続けています。

 

もし、あなた自身にまだコロナウイルスへの感染が確認されておらず、症状も出ていないのなら、ニュースがどうであれ、あなたの日々の生活は続くのです。

 

もちろん、大なり小なり、生活への影響はあるでしょう。

 

しかし、ありがたいことに、まだ日本では、スーパーやコンビニに行けば、食料品や生活雑貨は買えます。

 

蛇口をひねれば水は出ます。

 

ガスや電機だって使えます。

 

何よりまだ命があります。

 

そのおかげで僕もこうしてブログが書けるわけです。

 

暗いニュースしかないように感じるかもしれませんが、今日の夕食がおいしかったり、入浴して気持ちよかったり、読んだ本や閲覧した動画が面白かったりと、「快」の刺激となる素は、実際にあちこちに存在しているのです。

 

何も僕は、「だからそれらをありがたがりなさい。」などと無理して感謝することを勧めているわけではありません。

 

むしろこんなときに、それらに素直に感謝できなくても当然でしょう。

 

あなたが非常に強い恐怖に囚われている場合、「快」を感じにくくなっている(もしくは感じなくなっている)という可能性もあります。

 

しかし、あなたがどう感じるかとは関わりなく、それら自体は存在しているのです。

 

それは紛れもない事実なのです。

 

不安や恐怖はあって当然

 

しかし、ここで大事なことをひとつ付け加えておきたいと思います。

 

僕は、暗いニュースから無理に目を逸らして能天気に振舞うのもまた、「全体性」の認識を欠いた行動だと思います。

 

それは単なる「やせ我慢」ではないでしょうか。

 

僕が言いたいことはむしろその逆です。

 

実際にコロナウイルスは世界に蔓延しており、数字上では確認される感染者もどんどん増えています。

 

恐らくこれもまた事実なのでしょう。

 

自分や家族もいつ感染するかも分からない。

 

もしかしたら、単に症状が出ていないだけで、既に感染しているかもしれない。

 

不安や恐怖を感じて当然ではないでしょうか。

 

その感情を押し殺す必要はないのです。

 

不安や恐怖の感情やその対象について、存在を認めること。

 

しかし同時に、それらのみがものごとの全てではないと気づくこと。

 

そして、もし可能であれば、それら以外にも注意を向けてみること。

 

情報に溢れた現代において、情報に振り回されずに冷静に行動するためには、こうした姿勢が必要ではないでしょうか。

 

これはコロナウイルスに限らず、全ての情報との接し方において共通していることかもしれません。

 

 

【p.s】

もうひとつ、付け加えたいと思います。

 

不安だからとむやみに情報を得ようとすると、何が本当かますます分からなくなり、かえって不安が増幅するかもしれません。

 

参照する情報を、出処が信頼できるものに絞ることをお勧めします。

 

僕の場合は、なるべく厚生労働省等の公的情報のみ見るようにしています。