マインドフルネスの効果について証言② ~「あるがままの自分」に近づく~
僕はマインドフルネスと出会って、約2年が経ちました。
2年間、ほぼ毎日欠かさず瞑想を続けています。
その過程で、生きづらさを改善する様々な効果が現れています。
これから数回に渡って、僕に表出したマインドフルネスの効果を証言します。
前回記事に、僕が伝えたい意図や注意事項を書いていますので、ぜひご一読いただきたいと思います。
前回記事
「自己解放」
マインドフルネスを実践する過程で僕が感じられた、もっとも根幹となる実感。
それは、少しずつ「あるがままの自分」に近づいているという感覚です。
自分で使っておきながら、こんなことを言うのは何ですが、僕はこの「あるがままの自分」という表現が、実はあまり好きではありません。
「あるがまま」を、何か特別な状態であるかのように感じられる方がいらっしゃるのではないかと感じるからです。
いつでも「素」の自分で、何事にも動じない。
そんな風になれるのではないかと期待するかもしれません。
もちろん、そうなれる人もいるかもしれませんが、そこまで望むのはちょっと期待過剰ではないかなと思います。
ここで言う「あるがままの自分」というのは、それとはちょっと違います。
「こうあるべき」というこだわりを少しずつ手放していく、そんな姿勢でいることです。
※手放すのは自分に不要なこだわり(=執着)だけです。本当に必要なこだわりは、自然と残り続けるでしょう。
つまり、思考で作られた自分の虚像から自分を解放していくということです。
僕はこれを、「自己解放」と呼んでいます。
このブログタイトルの「本質」とは、「自己解放」が進むにつれて浮き彫りになる、いわば「真の自分」です。
つまり、ここで言う「あるがままの自分」と「本質」は、ほぼイコールのものだと捉えていただければと思います。
ただ、「あるがままの自分」は、なじみのある言葉だと思いますので、皆さんに分かりやすいように、あえてここでは使わせていただいています。
ネガティブだと感じる自分の特性を許す。
「自己解放」が進む過程で、これまで自分でネガティブだと感じて、正そうとしてきた特性も、少しずつ許せるようになっていきました。
僕はよく、内向的だと評価されることが多く、かつてはそんな自分が受け入れられませんでした。
コミュニケーションマニュアルに載っているような、社交的で陽気な性格でなければいけない。
そう思い込み、そのような自分を演じようともがいていました。
しかし、マインドフルネスの実践を続けることで、内向的な自分のままでいいのだと認められるようになりました。
さらに言えば、内向的であることに「良い」も「悪い」もないのではないでしょうか。
赤道直下の地域が高温多湿なように、日本海側の地方が曇りがちなように、人間にだって変わらない性格の傾向があって当然だ。
みんながみんな、努力をすれば社交的な人間になれるという訳でもないだろうし、そんな必要もないだろう。
そう感じられるようになったのです。
つまり、内向的な性格が、僕の「本質」なのです。
※これは安易なレッテル貼りではなく、あくまで傾向として述べています。
それが認められたことで、僕はひとつの大きな重荷から解放されたのです。
今ではむしろ、この内向的な性格を気に入っています。
そして、これを活かして独りの時間を楽しむ術を身につけています。
このように、「自己解放」によって「本質」に近づくことは、自分にとって余計な荷物を手放して、楽に生きることなのです。
そして、「本質」を活かせば、自分の持ち味を効果的に発揮することができるようになるでしょう。
では、次回以降、僕に現れた効果のうち、枝葉の部分についてお話ししたいと思います。
(続く)