僕はマインドフルネスにどのような効果を感じたのか。
それを証言するこの連載記事も、いよいよ終盤に差し掛かりました。
↓↓ この連載記事の意図および注意事項 ↓↓
これまでお話ししたマインドフルネスの効果のうち、枝葉に当たるものが積み重なり、僕は少しずつ「できない自分」が許せるようになっていきました。
今回はそれについて、詳しく述べたいと思います。
「成功哲学」に振り回される
完璧主義で苦しんでいた僕にとって、失敗はとても恐ろしいことでした。
「成功しない自分には価値はない。」
そう信じていました。
ですから、常に「失敗してはいけない。」と、何かに駆り立てられるようにむやみに行動していました。
心から安心できる時間はほとんどなかったのではないかなと思います。
書店に並ぶ自己啓発本には、様々な「成功哲学」が記されています。
僕はそれらの通りにすれば、幸せになれるに違いないと信じていました。
成功を重ねた先に何か楽園のような安住の地があり、そこに到達すれば、もうこのような苦しみから抜け出せるのではないかと期待していました。
しかし、実際はまるで逆でした。
「成功哲学」の通りにできなかったときは、自分を責める。
仮にうまく成功したとしても、ひとときの満足はありますが、またすぐに次の成功へと心が駆り立てられる。
いつまで経っても心が休まることはない。
終わりなき戦い。
まるで修羅界でした。
「存在」あってこその「行動」であることを知る
それまでは、自分の「行動」とその結果に執着していました。
しかし、マインドフルネスの実践により、僕は「今、ここにいる自分」の「存在」に意識を向ける時間を持つようになります。
すると、少しずつ自分の「存在」を確かなものと信じられるようになったのです。
つまり、成功しようと失敗しようと、僕は変わらず「存在」しているのだと感じられるようになったのです。
たしかに「行動」は大切かもしれない。
その結果も気になるだろう。
しかし、「存在」があるからこそ「行動」ができるのだ。
真に偉大なものは「存在」であって、「行動」やその結果は付随物なのだ。
この認知の変化は、僕にとって革命的なものでした。
結果への執着を手放す
この気づきから、僕はある確信を得ます。
それは、「結果はコントロールできない」という真実です。
「努力をすれば何でもできるようになる」という「成功哲学」を心から信じる人にはとても受け入れがたい言葉かもしれません。
突き放したような言い方で申し訳ないのですが、そうした信念をお持ちの方には、このブログはお役には立てないと思います。
なぜなら、そうした成功を追い求めること(=達成ゲーム)に疲れ果てた人や、成功よりも安らぎを望む人に向けて発信していますので。
何度かこのブログで申し上げているのですが、僕たちが直接コントロールできるのは「行動」と「注意の向け方」の2つだけだと僕は思うのです。
我々は結果をコントロールしているように見えるかもしれませんが、実際に僕たちができるのは、「行動」をコントロールして結果に働きかけるところまでなのではないでしょうか。
つまり、「やるかやらないか」はコントロールできても、「できるかできないか」はコントロールできないのです。
完璧主義で苦しむ人にとって、このニュアンスの違いはとても大きなものであると僕は感じています。
結果を「こうあるべきだ」とジャッジし、そのようにできない自分を否定することは、実は全くナンセンスなのです。
※もちろん、そのような思考も自動的に起こってしまうものなので、責める必要はないのですが。
これは努力など無駄だとか、結果を気にしてはいけないということではありません。
むしろその逆です。
望ましい結果を欲するのは人情ですから、結果は気になって当然でしょう。
結果がコントロールできないからこそ、望ましい結果に近づけるように「行動」することは尊いのだと僕は思います。
しかし、「行動」のベースとなるのはあくまで「存在」であること。
これを体感レベルで知っていることは、結果への執着を手放すうえで非常に有効でした。
そして自分に優しくなる
これらの洞察から、僕はこれまで、いかに「できない自分」を許してこなかったかに気づきます。
「これはできない」「ここまでにしてほしい」と心が訴えていることでも、無理にさせようとしてきました。
僕は誰かと競争していたのではなく、自分と戦っていたのです。
「やってもできないこと」はもうやらなくてもいいのだ。
そう感じられるようになりました。
それからというもの、少しずつ僕は自分に優しくなっていきました。
そして、自分に優しくなるに伴い、他者にも優しく接する余裕が生まれるようになりました。
他者を思いやるには、まず自分から。
これらの経験から、僕は強くそう感じます。
さて、僕に現れたマインドフルネスの効果について、数回に渡って述べてきましたが、いよいよ次回、この連載記事のまとめとさせていただきたいと思います。
(続く)