本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

「今ここ」の意味

前回記事で、「キャッチフレーズ」について述べました。

 

「キャッチフレーズ」は魅力的に響く分、よく「独り歩き」をする。

 

だから、もしそれらに振り回されて苦しいなら、その真意がわかるまで、むやみに信じようとすることを保留してはどうかとお伝えしました。

 

前回記事

hamamon91.hatenablog.com  

さて、マインドフルネスにも、僕が「独り歩き」を懸念している「キャッチフレーズ」があります。

 

それは「今ここ」という言葉です。

 

今回はこの言葉について、僕の意見を述べたいと思います。

 

 

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「今ここ」は行間にエッセンスが詰まっている

 

マインドフルネス関連の情報に限らず、スピリチュアルや心理の分野において、近年、「今ここ」という言葉が多用されているように感じます。

 

「今ここ」を生きましょう。

「今ここ」に集中しましょう。

 

適切に意味を理解していれば、この言葉は生きるうえで、非常に有効な指針になるものと僕は確信しています。

 

しかし、生真面目な人は、この言葉に囚われてしまい、「常に『今ここ』だけに集中し続けなければならないのか。」と感じてしまうかもしれません。

 

完璧主義で苦しむ人であれば、「過去のことや未来のことを考えてはいけないのか。」と思い、過去の思い出に耽ることや未来の計画を立てることさえもためらってしまうかもしれません。

 

そして、「今ここ」の自分の呼吸などに、無理やり自分の意識を縛り付けようとするかもしれません。

 

もしくは、「考えを止めなければならないのか。」と自分の思考を抑圧するかもしれません。

 

マインドフルネスを推奨する立場の僕ですが、マインドフルネスを実践することで、かえってあなたに余計な苦しみを負っていただきたくないので、あえて言いたいと思います。

 

「今ここ」は「キャッチフレーズ」です。

 

それはあなたのハートを掴むために仕立てられたシンプルな便利ワードです。

 

だから、その表面ではなく、行間にこそエッセンスが詰まっているのです。

 

この「キャッチフレーズ」の表面上の意味に囚われて苦しいなら、今は距離を置いてみてはどうでしょうか。

 

真意が腑に落ちるまで、一度この言葉を脇に置きましょう。

 

※それでも僕はこの「キャッチフレーズ」には好感を持っていますので、このブログでも時折使っています。

 

「今ここ」を自覚していればいい

 

「今ここ」とは、決して「今ここ」だけに注意を向け続けていなければならないということではないと僕は思っています。

 

湧き上がる思考を無理に抑えつけて、不自然な集中を作り出そうとすることでもないでしょう。

 

試してみればお分かりだと思いますが、自分の心を力づくで止めようとする試みは、かえって苦痛を増大する結果になるでしょう。

 

そんな苦行、僕はやりたくありません(笑)

 

マインドフルネスとは、自分に対する思いやりです。

 

こうしたやり方は、むしろ優しさから遠ざかっているのではないでしょうか。

 

「今ここ」とは、今自分が注意を向けているものを自覚しようとする態度だと僕は認識しています。

 

「今、自分は思い出に耽っている。」と知っているのであれば、過去の記憶に浸ってもいいのです。

 

「今は予定を立てている。」と気づいているのなら、未来のことに思いを巡らせることに何も問題はありません。

 

心は自分とは別の生き物

 

しかし、心は知らず知らずのうちに彷徨います。

 

自覚がないまま、今していることとは違うことについて考えが起こったり、今注意を向けようと思っていないものに気を取られたりします。

 

そのときは、自分が「そうであること」に気づけばいいのです。

 

そして、ただ気づくだけでもいいのですが、もし可能なら、再び今していることや、今注意を向けたいものにそっと意識を置きなおしてみましょう。

 

このように心が彷徨うことは、あなたが注意散漫だから起こるわけではなく、心の自然な働きです。

 

もちろん僕も、しょっちゅうそうなります(笑)

 

これは僕たちのコントロールを超えているのです。

 

心とは、自分の一部であって、自分ではない別の生き物でもあるのです。

 

だから、そうなる自分を責める必要はまったくないのです。

 

こうした態度を忍耐強く続けていると、自分が「今ここ」ではないどこかに注意を向けている時間がいかに多いかに気づくでしょう。

 

そして、注意はおのずと「今ここ」へと向くようになるでしょう。

 

少しずつ、「今ここ」に意識を置く頻度が増えることでしょう。

 

これが「今ここ」の真意なのだと、僕は解しています。