結果がコントロールできない理由
僕はこのブログで何度か「結果はコントロールできない」と述べてきました。
これは努力を否定するものではなく、現代社会で陥りがちな「悪あがき」から距離を置くための知恵としてお伝えしているものです。
そして、真に言いたいことは、「結果に無関心になりましょう。」ということではなく、結果をより望ましいものにしたいのなら、行動をコントロールして働きかけるという体感が大切なのだということも、強調しているところです。
結果ではなく行動をコントロールする。
完璧主義で苦しむ人にとって、この感覚は非常に重要だと僕は感じています。
しかし、「結果はコントロールできない」ということが、何となくはわかっても、深い理解には至らないという方もいらっしゃるでしょう。
今回は、このことについて説明したいと思います。
過去はコントロールできない
僕たちは過去の失敗について悔やむことがあるかと思います。
もしくは過去の嫌な記憶を思い出し、悲しくなったり腹立たしくなったりすることもあるでしょう。
「今の自分ならあのときこうするのに・・・」
「あのときのあいつの言動、許せないよ。」
しかし、どんなにそのように思っても、過去の自分の行動はコントロールできません。
今の「あいつ」に復讐することはできても、当時の「あいつ」に直接何かをすることはできません。
(もちろん、復讐もおすすめしませんが。)
「過去は返らない」
これはもう、使い古された言葉かもしれませんね。
「そんなことは今さら言われなくてもわかってる。」
そうお思いの方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、このことは、「結果がコントロールできない理由」と極めて密接に関係しているのだと僕は感じています。
結果はすべて過去のもの
表題の言葉を繰り返しますが・・・(笑)
結果とは、すべて過去のものなのです。
たとえ未来の結果であっても、それは例外ではありません。
未来のものなのに過去・・・?
意味がわからない・・・
そう思われる方もいらっしゃって当然だと思います。
しかし、結果の意味を見れば、そのことがわかります。
『結果(けっか)とはある物事を行った後に生じた現象、状況、物象をあらわす言葉』(出典:Wikipedia)
結果は、物事を行った「後に生じる」のです。
つまり、未来のことであっても、自分の行動なり、時の流れなりを経たのちに結果が形成されるのです。
ものごとは、結果となった時点ですべて過去のものになるのです。
そして、先ほど述べたとおり、過去はコントロールできない。
すなわち、結果はコントロールできないということです。
勉強を「するかしないか」はコントロールできても、試験に「合格できるかどうか」はコントロールできないのです。
本を「読むか読まないか」はコントロールできても、その内容を「理解できるかどうか」はコントロールできないのです。
気になる彼女に「アプローチをするかどうか」はコントロールすることはできても、彼女が「どう反応するか」はコントロールできないのです。
だから、これらの結果を直接どうにかしようとすることは、コントロールできないものを変えようとしてもがいていることと同じなのです。
現在の自分の行動に注意を向ける
もし、結果を変えたいのなら、今の行動をコントロールして、未来の結果に働きかけるしかないのです。
ならば、望む結果に近づくために、現在の自分の行動に注意を向ける。
※結果さえも望む気がなくなったのなら、もちろん「行動をしない」という選択もあり得るでしょう。
そして、結果となった時点で手放す。
もちろん、望む結果となったのなら、歓喜に浸ってもいいと思います。
残念な結果になったら、思い切り悲しんだり悔しがったりするのもいいと思います。
しかしそれももう過去のもの。
落ち着いたら、また、今という時間に意識を置く。
これが結果への建設的な関わり方ではないでしょうか。