適所で生きるということ
前回記事の中で、「使命」というものを深刻に考えてしまう人に向けて、植物に学び、自分に適した場所で、自分が今「できること」を淡々としていけばいいという持論を述べました。
前回記事
さて、今回も再び、植物の生き方をヒントに、適所で生きることの大切さをお話ししたいと思います。
今いる場所がしっくり来ない。
どうしても自分の居場所だと思えないが、そこから離れることもできない。
そのように苦しんでいる人もいらっしゃるのではないでしょうか。
もしそこがあなたの「本質」に合っていない場所なら、自分に見合った場所への移動を試みるのも有意義なことではないかと僕は思います。
ミヤマキリシマ
ミヤマキリシマという植物をご存じでしょうか。
九州の火山帯に群生するツツジの一種です。
この野生種は、火山の高所でのみ生息できるのです。
火山というと、有毒ガスが発生しますし、高木が少ないため強風にさらされる危険性もあります。
火山灰質の土は、保水力に難もあります。
我々の「常識」で考えると、とても植物の生育には適していない場所に思えるでしょう。
にもかかわらず、この植物はなぜ、そのような環境で生きることを選んでいるのでしょうか。
競争を避ける
これは僕の推測ですが、過酷な生存競争を避けるためでしょう。
我々が「常識」で考えるところの、多くの植物にとって適しているとされる土地はどんな場所でしょうか。
日当たりがよく、栄養も豊富で、気候も温暖、水量も充分にある。
おそらくそんな場所でしょう。
そのような場所に身を置けば、当然、他の植物との日光、栄養や水の奪い合いになるでしょう。
すると、「厚かましい」植物が生き残りやすいという結果になることは明白です。
それらの植物にとっては、過酷な火山という環境は、生きにくい場所でしょう。
しかし、ミヤマキリシマにとっては、競争が少ない火山こそが生きやすい場所なのです。
他の植物との消耗戦に臨むくらいなら、自然環境が厳しいほうがまだいいと、火山を生きる場所に選んだのでしょう。
要するに、自分には何が耐えられて、何が耐えられないのかを知っていたということでしょう。
これは逃げでも恥でもなく、賢い生存戦略なのです。
自然の摂理である「棲み分け」なのです。
自分が咲ける場所に身を置く
もし、この推測が適切だとすれば、ミヤマキリシマの生存戦略は、自分が身を置いている場所への適応に困難を感じている人も、学ぶところがあるのではないかと思います。
人間はこれまで、努力で色々な偉業を成し遂げました。
また、様々な困難を克服してきました。
だから、「人間は努力をすれば、どこでも適応できるのだ。」と思うかもしれません。
そこから離れるということを逃げと感じ、強い罪悪感を抱くかもしれません。
もちろん、与えられた場所で勤めを果たすことは、美しいことであると僕も認めます。
しかし、たとえ人間であっても、努力をすれば皆、置かれた場所で生きられるかというと、そうであるとは限らないと僕は思います。
僕も、自身の経験からそのことを痛感しました。
ミヤマキリシマのように、他の人が生きやすい場所が、自分にとっては過酷な環境であるということは、充分あり得ることです。
ミヤマキリシマのように、他の人にとっては生きにくい環境が、自分にとっての適所であるということも、充分あり得ることです。
それはあなたが特別なのではなく、単にあなたがそうであるというだけの話です。
ミヤマキリシマがそんな場所でしか生きられないからといって、あなたはミヤマキリシマのことを「逃げている」と感じるでしょうか。
ミヤマキリシマは、5月~6月に火山の山肌で花を咲かせます。
あなたができる限りの努力をしても、今いる場所で咲けないのなら、ミヤマキリシマのように生きてみてはどうでしょうか。
あなたも、自分が咲ける場所に身を置いてみてはどうでしょうか。
もちろん、皆さん事情は様々ですので、今いる場所から移動することが簡単ではないであろうことは、百も承知で申し上げています。
焦る必要はありませんし、煽り立てるつもりも全くありません。
そうしないことも立派な選択です。
今はまだわからないなら、脇にどけておいても構いません。
無理にしようとしなくても、自分の「本質」を知るときが来たら、おのずと答えは出るでしょう。