前回記事で、感情と戦うのではなく、「折り合いをつける」という姿勢で臨むことを提案しました。
ここで注意していただきたいことがあります。
それは、とにかく無理はしないでいただきたいということです。
今の段階で折り合いがつけられない感情があっても全然かまわないのです。
少しずつ、忍耐強く、自分の心と対話しながら実践しましょう。
また、向上心が高いあなたは、自分の中のすべての感情と折り合いをつけなければいけないと思うかもしれません。
しかし、その必要はないと僕は思っています。
今回は恐怖の感情を例に、詳しくお話ししたいと思います。
恐怖の回避
心理学の解説書やスピリチュアルの指南書において、恐怖に対する回避行動を戒める意見をよく目にされるかと思います。
「恐怖の回避に時間を費やすことが、建設的な行動を妨げているのだ。」
「だから、恐怖から逃げずにそのまま感じてみよう。」と。
これらの意見は、ある部分においては真だと思います。
しかし、この言葉の表面の意味に囚われてうのみにすると、自分を追い詰めて苦しむことになるかもしれません。
こんな経験はないでしょうか。
さきほどの言葉を「恐怖から逃げてはいけない。」と深刻にとらえ、今、手に負えないような強大な恐怖の対象にも真っ向から飛び込もうとする。
しかし、あまりの恐怖に、対象から逃げ出して自己嫌悪に陥る。
もしくは、死ぬほど怖くて心は激しく抵抗しているにもかかわらず、自分に無理にそれをさせる。
その結果、さほど成功体験を感じられないばかりか、恐怖がさらに深く心に刻まれる。
場合によっては、対象への恐怖をより強化し、「こんな取り組み二度としたくない。」と、さらに自分の殻に閉じこもる。
僕も経験がありますが、これはもう地獄のような苦行ですよね。
回避したい心はあっていい
そもそも回避は「悪」なのでしょうか。
逃走感情は、危険から身を守るために我々に備わった機能です。
ちゃんと目的があって、僕たちの心の中に存在しているものなのです。
だから「逃げ出したい」という気持ちはあっていいのです。
感じ方の事実を認める
また、今、あなたがその対象を危険だと強く感じていることは事実なのです。
その感じ方のもととなる思い込みが、建設的であろうと非建設的であろうと。
また、その思い込みが過去の記憶によるものであり、本当は命が奪われるような危険ではないと理屈では知っていても。
それとは別に、あなたがそれに強い恐怖を感じているという事実だけは、認めてあげてもいいのではないでしょうか。
それほどあなたの心は傷を負っているということではないでしょうか。
認めることは癒しです。
今は自分を癒す時間が必要なのではないでしょうか。
潜在意識の抵抗は強力
心に関することは、理性だけではどうにもならないときだってあるのです。
これまで、その思い込みを思考で正そうとチャレンジしてきたあなたなら、そろそろ感じているのではないでしょうか。
「この理屈を超えた恐怖は、理性だけで太刀打ちできるような生易しいものではないのかもしれない。」と。
僕は思います。
脳の5%ほどの顕在意識にある理性だけで、95%の潜在意識にある思い込みをどうにかしようとするのは無謀だと。
それほど潜在意識の抵抗は強力なのです。
今は逃げていい
だから今は、それほど強力な抵抗を起こさせるほどの恐怖の対象からは、逃げればいいのだと僕は思います。
「今は手に負えないから逃げるのだ。」と自覚したうえで、堂々とそこから離れればいいのではないでしょうか。
ものごとには段階があるのです。
段階とは、「優劣」をつけるための物差しではなく、自分の成長度合いを示すバロメーターなのです。
あなたは生まれてすぐに歩けたり話せたりしたわけではないはずです。
同様に、今、その恐怖と折り合いがつけられなくても、何の問題もないのです。
今はそれは脇に置いて、折り合いがつけられそうな、あなたにとっての小さな恐怖から少しずつチャレンジしていってはどうでしょうか。
これを積み重ねていけば、いつかはその恐怖とも折り合いがつけられる日が来るかもしれません。
もしその日が来なかったとしても、少しくらい回避し続ける対象があったっていいのではないでしょうか。
常に立ち向かうだけが人生ではないと僕は思います。
努力はたしかに美しいと僕も思いますが、どうにも耐えられないものから逃げることも立派な生存戦略ではないでしょうか。