本質で生きるマインドフルネス

瞑想によって私たちは、等身大の私たちになる

「狭い世界」で生きることもまた美しい

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マスコミのニュースでは、華々しい成果を上げた人がクローズアップされる傾向があるかと思います。

 

また、最近ではSNSで自分の生活をさらけ出す行為が一般的になっているように感じます。

 

そういう情報をよく目にするからでしょうか。

 

世界をまたにかけて活躍している人や著名人の生き方を見て、「なんてスケールが大きいんだ。」と羨むかもしれません。

 

そして、自分の生活と引き比べて、「自分はなんてちっぽけなんだ。」と卑下してしまうかもしれません。

 

「広い世界」に飛び出してチャレンジすることが「良い生き方」だと思ってしまうかもしれません。

 

世界の広さは人それぞれ

 

僕は、自分が生きるのに適した世界の広さは、人それぞれだと思っています。

 

ワールドワイドに活動することが向いている人もいるでしょう。

 

また、地方に密着して、そこに住む人々と暮らしていくことが適している人もいるでしょう。

 

ご近所さんの中で完結する生活で満足できる人もいるでしょう。

 

何がその人に合っているかというだけで、そこに「優劣」はないと僕は思います。

 

チャレンジの仕方も人それぞれ

 

「広い世界」に飛び出していくことだけがチャレンジなのでしょうか。

 

僕は違うと思います。

 

現代は多用性が認められつつあるとはいえ、金銭的に豊かになることや名誉を得ることを「成功」とみなす傾向は依然あるでしょう。

 

もちろんそれを目指すことは、非常に大きなチャレンジでしょう。

 

しかし、あなたがそのような「成功」を心から望んでいないのなら、もしくは、そのような「成功」が自分の手に負えないと悟ったのなら、別のチャレンジもあるのではないでしょうか。

 

あえてそのような「成功」を追求せず、あなたに見合った広さの世界で細々と生きることを選択することもまた、立派なチャレンジではないでしょうか。

 

たとえそこが「狭い世界」であったとしても、です。

 

成功の定義も人それぞれ

 

そもそも何が「成功」かは人によって違うのではないでしょうか。

 

自分が心の深い部分で何に価値を置いているのか。

 

自分は何をもって心が豊かだと感じられるのか。

 

それもまた人それぞれではないでしょうか。

 

井の中の蛙」という格言があります。

 

これは、単に「狭い世界」で生きることを指す言葉ではありません。

 

「狭い世界」で生きているという自覚がなく、そこでお山の大将になっていることを揶揄したものです。

 

だから、自覚があればいいのです。

 

「ここのみが世界のすべてではないのだ。」

「ここ以外にも果てしなく世界は広がっているのだ。」

 

そのことさえ知っていれば、「狭い世界」で生きることは何も問題はないのです。

 

自分の手の届く範囲で、自分の身の丈に合ったライフスタイルを送ること。

 

もしあなたにそれが適しているのなら、それもまた美しい生き方ではないでしょうか。

 

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