探そうとしないこと
瞑想において、探そうとしない姿勢は大切だと僕は思います。
坐して、もしくは横たわって瞑想をしている間、何も探そうとしません。
心地よさも、
リラックスも、
集中も、
洞察も、
何も探しません。
ただ来るものに対して、なるべく平等に注意を払おうとします。
これはいわば、結論を求めないということに似ているかもしれません。
この注意の払い方は、坐して、もしくは横たわって行う鍛錬としての瞑想の最中だけでなく、日常生活においても有効なものであると僕は思います。
僕たちは現代社会において、答えを急ぐことを過剰に求められているのかもしれません。
瞑想でさえ、即効性の特効薬であることを期待して臨む方がいらっしゃるかもしれません。
「瞑想をやれば、極上のリラックスが味わえるはずだ。」
「脳が活性化して、生産性が格段にアップするに違いない。」
そして、期待した時間内に期待した効果が得られず、瞑想に対して失望するのです。
巷の情報などを見ると、そのように思われるのも無理はないでしょう。
しかし、それは忍耐を欠いた態度なのかもしれません。
これまでは、結論を必死に求めていたかもしれません。
そしてむやみに努力していたかもしれません。
それは苦しみであったかもしれません。
しかし、探さないという姿勢を続けることで、きっとあなたは気づくでしょう。
探さないことは、実は結論に達する近道なのだと。
結論を求めないことで、探そうとするよりも格段に楽に、結論にたどり着くのだということを。
そこからさらに探さないことで、あなたは知るかもしれません。
結論だと思っていたこともまた、数ある選択肢のひとつに過ぎないということを。
そして、そこで終わりではないということを。
そこに達した後も、僕たちが生きているかぎり、人生は連綿と続くのだということを。
人生を全体として観たとき、真の意味で、結論というものは存在しないのかもしれません。
だから、本当は何も探さなくていいのかもしれません。