本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

エゴ

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あなたは、セラピストやスピリチュアリストが書いた文章などを読んでいて、あまりにも人格ができすぎているように感じて、かえって苦しくなったことはありませんか。

 

心が健全であるには、この人たちのように・・・

人を憎んではいけない。

人を羨んではいけない。

いかなる人も愛さなければならない。

 

そして、そのように振舞えない自分を責めてしまったことはないでしょうか。

 

僕もそうだったことがあるので、とても気持ちがわかります。

 

美しい部分だけが人間ではない

 

しかし、僕はあなたにはっきりと言います。

 

僕はブログでこんな知ったふうなことを語らせていただいていますが、僕の心にもしっかりエゴは存在しています。

 

自分に都合がいいものには理屈をつけて飛びつくことだってあるし、自己防衛に労力を割くことだってある。

 

批判されれば不快になるし、そんな相手を恨みたくもなる。

 

自分に与えられていないものに羨望の目を向け、人の境遇を妬むことだってあります。

 

今わざわざこんなことを言うのは、自虐でも、あなたをがっかりさせるためでもありません。

 

むしろその逆です。

 

僕自身、心のことを語ってセラピストの真似事をしていますが、そんな人間もまたエゴまみれなのだと知っていただきたいのです。

 

ことさらに美しい言葉で飾り立てたものだけが人間のすべてではない。

 

そのことをちゃんと受け入れていただきたいからです。

 

だから、残念かもしれませんが、あなたの心にもきっとエゴはあるに違いありません。

 

美しいものしか認めないなら、それこそ愛ではありません。

 

たとえ醜いと感じる部分があったとしても、そしてそれが嫌いであったとしても、それも含めて人間なのだ。

 

そことしっかり向き合っていただきたいのです。

 

美化するということは、ものごとに過剰な意味を付与しているという点で、貶めることと表裏一体ではないでしょうか。

 

だから僕は、綺麗事で人間の本質をごまかしたような言葉には感動をおぼえませんし、見聞きしても嘘くさく感じるのです。

 

みんな心にエゴはある

 

僕たちは少しずつ認めてもいいのかもしれません。

 

ブッダのような「悟った」といわれる人はどうか知りませんが、だいたいみんな、大なり小なり心にエゴはあるのだと。

 

あなたが尊敬する人だってきっとそうに違いありません。

 

ならばあなただって、あなたが嫌いなあの人にだってあって当然です。

 

それを特別なことと思う必要はないのではないでしょうか。

 

僕たちは聖人君子になんてならなくていいのです。

 

エゴの心がありながらも、それらとの関係を試行錯誤しながら、自分なりに誠実に生きていく。

 

目の前のものごとをおろそかにして、エゴを消し去ろうと自分の心と格闘するより、そのほうがよほど建設的な生き方ではないでしょうか。

 

もしくは自分の心にエゴなどないかのように語り、立派な言葉でものごとを飾ろうとするより、そのほうがよほど美しい生き方ではないでしょうか。

 

エゴを憎んで敵視しているうちは、エゴに支配されているのかもしれません。

 

しかし、誰しも心にエゴがあるという事実を徹底的に認め、エゴと戦うことを手放したとき。

 

そして、エゴをエゴだと気づき続けたとき。

 

あなたは少しずつエゴの支配から脱することでしょう。

 

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