条件付きの肯定から足を洗う
「何かができるようになったら自分を許せるかもしれない。」
あなたはそのようにして、これまで苦行に励んできたかもしれません。
あなたのその忍耐に、僕はこのうえない敬意を払うでしょう。
なぜなら、僕もずっとそのように自分と関わってきたからです。
しかし、それを何年も続けてきたにもかかわらず、まだ自分を許せない。
いったいいつになったら、自分を許せるのだろう。
もし、そのような疑問が湧いてきたのであれば、そろそろこうした苦行を見直すときかもしれません。
これはあなたにはとても酷な質問かもしれません。
しかし、僕は問わずにいられない。
「何かができること」とあなたの存在価値は、本当に関係があるのでしょうか。
もしあなたが何かをできなかったとして、本当にあなたの存在が脅かされるのでしょうか。
答えは出なくてかまいません。
どうか答えを求めずに、問い続けてください。
しかし無理をすることはありません。
もし問うに堪えないなら、今はまだあなたに受け入れる準備ができていないのかもしれません。
それは何も悪いことではありません。
ただ「そうである」というだけなのですから。
だから苦しくなったら、今は読むのをやめましょう。
その答えは逃げはしません。
あなたが問い続けていれば、いずれ、あなたの内から自然に湧き出してくるはずです。
既にあなたはあなた
「何かができるようになったら」
「こんな人間になったら」
「こんな成功を収めたら」
もうこのような条件付きの自己肯定からは、少しずつ足を洗ってはどうでしょうか。
なぜなら、この「達成ゲーム」は終わらないことが目に見えているからです。
おそらく、何かができるようになったとしても、次できないことがあったとき、あなたは自分を責めるでしょう。
すばらしい人間になったとしても、あなたはまたダメな部分を探すでしょう。
成功を収めたとしても、次失敗したときあなたは自分を否定するでしょう。
何かができるようになってはじめて、あなたは本当のあなたになるわけではありません。
既にあなたはあなたです。
たとえ自分のことが嫌いでも、今のあなたがあなたなのです。
そして今はそんな自分が嫌いでもいいのです。
嫌いなままの自分でも無理に好きになろうとせず、淡々と、まぎれもなくこれが自分なのだと認めるとき。
あなたは自分を受け入れることでしょう。
可能性を感じることをやってみる
とはいえ、あなたにはまだ釈然としないものが残っているかもしれません。
「そうはいっても、これができるようにならないと自分は何もできないままだ。」
そのように懸念されるかもしれません。
とても気持ちはわかります。
僕もそれが怖かったから、自分を変える努力に明け暮れてきました。
だから、それを恐れるなとか気にするななどとは、とても僕の口からあなたに言うことはできません。
その代わりと言っては何ですが、ひとつ事実をお伝えしましょう。
この宇宙には無限に世界が広がっています。
ですから、仮にそれができなかったとしても、あなたにできることはほかにもたくさんあるのです。
もし、これまであなたが努力を続けたにもかかわらず、それができないのなら、それは本来あなたに与えられた役割ではないのかもしれません。
あなたに非があるのではなく、単にあなたに合っていないだけなのかもしれません。
だから、あなたがそれをもう続けたくないと感じるのであれば、ほかに可能性が感じられることをやってみることは、とても建設的なことです。
しかし、あなたは思うかもしれません。
「そうはいっても、ほかの人はできているのに。」
「本当に自分にできることなんてあるのか。」
たしかにほかの人にできて、あなたにできないことはあるのかもしれません。
しかし、今は気づいていないかもしれませんが、既にあなたにできていることはたくさんあるのです。
そして、そのなかにはもちろん、ほかの人ができないことも含まれています。
しかし、水中戦ではとてつもない実力を発揮します。
あなたもズゴックかもしれません。
無理に苦手な陸戦を続けなくてもいいのかもしれません。
「みんな同じことが同じようにできて当然」
もうこの考えは、昔のものになりつつあると僕は感じています。
「存在」を感じる実践
ただ坐って、自分の身体にそっと意識を置き続けてみましょう。
何も探さずに。
何も求めずに。
するとあなたは、少しずつ自分の「存在」を感じるようになることでしょう。
さらに実践を続けることで、自分の「状態」は常に変わり続けるが、「存在」は変わらずあり続けるということに気づくでしょう。
そのときあなたは悟るはずです。
何かができる・できないという「結果」は単なる「状態」であるということを。
そして「状態」には、自分の「存在」を傷つける力はないのだということを。
つまり、何かができなくても、本来あなたの存在価値は変わらないのです。