「仕事に意味が感じられない。」
そう思って、自分のやりたい仕事を探し求めてきた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
「これが自分のやりたいことだ。」
「これが自分の天職に違いない。」
そう思って始めたことも、やはり何か違うと感じる。
もしあなたがこれを繰り返してこられたのなら、ここで一呼吸置いてはどうでしょうか。
仕事に過剰なロマンを求めることをやめてはいかがでしょうか。
もちろん、これはあなたが探求に疲れ果てているのであればの話です。
あなたが本心から諦めてもいいと思わないのであれば、心ゆくまで探し続けるのがいいのかもしれません。
仕事の目的
仕事という言葉には、とても深い意味があると僕は思っています。
ですからここでは、労働という言葉を使いたいと思います。
さて、労働とは何のためにするのでしょうか。
もしここで「生きがい」や「社会を良くするため」等の回答が挙がった方は、悪いことは言いません。
どうかここで読み進めるのをやめていただけないでしょうか。
これ以上この記事を読むと、あなたの気分が害されることは必至です。
僕はあなたを傷つけるためや誰かと議論をするためにブログを執筆しているわけではありません。
あなたとは違う種類の苦しみを抱えた人にどうしても伝えたい真実があるのです。
そして僕は、それをやめるわけにはいかないのです。
ですからせっかくご訪問いただいたところ大変恐縮ですが、どうぞここでご退出いただければ幸いです。
では話を戻しましょう。
労働とは何のためにするのか。
各人で細かい目的は色々あるかもしれません。
しかし、突き詰めるなら・・・
それは、給料や報酬を得るためではないでしょうか。
お金を獲得するための手段。
やはり多くの人にとって、これが労働の主な意義ではないでしょうか。
仕事は生きるための道具のひとつにすぎない
ならば労働をした結果、手にするお金とは、何のためのものでしょうか。
ここでは詳しく説明することを割愛させていただきますが、
お金とは生きることを楽に・便利にするための道具ではないでしょうか。
少なくとも僕は、それ以上でもそれ以下でもないと思っています。
ですから僕にとっては、労働は生きるための手段のひとつであるということです。
手段とは、目的を達成するための道具です。
その結果得たお金もまた、道具です。
つまり労働とは、生きるための道具のうちのひとつにすぎないということです。
生きることそのものではないのです。
仕事に対してしらけきってみる
にもかかわらず、僕たちはこの労働という道具に、ことさらにロマンなどの味付けをしたがるのかもしれません。
そして、「私はこんなにすごい社会貢献をしているのだ」と誇ろうとしたり、
「こんな大切な仕事だから命を懸けて取り組まなければならない」と、自分自身をないがしろにして労働に明け暮れようとするのかもしれません。
もしくは、「私の天職はどこかにあるはずだ」と探し回ることに人生の大半を費やすのかもしれません。
かくいう僕もその一人でした。
その「労働神聖視ゲーム」や「天職探しゲーム」に心から意味を感じるなら、それはすばらしいことです。
もしくは、それをゲームとして自覚的にやっているのなら、それもまた面白い遊びかもしれません。
ぜひとも続けていただいたらいいと思います。
しかし、そうした労働への特別視に対してどこか冷めた感じがあったり、
違和感があるにもかかわらず、
労働を特別なものと感じなくてはならないと苦しんでいるのなら、
そのあなたが感じているしらけ感や疑問に一度、素直になってみてはいかがでしょうか。
いっそ労働に対してしらけきってはいかがでしょうか。
労働とは単なるお金を得るための手段。
ロマンは不要。
もし本当に必要なら、物語は後から勝手に付いてくる。
このスタンスに徹してはいかがでしょうか。
結び・探さないことが天職につながる
「仕事とは、自分を犠牲にしても優先しなければならない重要な義務である」
僕はこの自己洗脳から脱したとき、生きることが楽になりました。
そして、かつては探し回っていた天職を探さないことで、
本当に自分にできることとできないことが何なのかがわかってきました。
「なりたい職業」「やりたい仕事」は今はないですが、まったく困ることはありません。
むしろ、それらに縛られずに職を選ぶことができるため、かえって柔軟に対処できます。
これによって、仮に今の職をやめることとなったとしても、何とか別の手段で生きてはいけるだろうという確信めいたものを感じられています。
今では、労働とは生活の中の一部にすぎず、衣食住や趣味などと重要さにおいて違いはないと思っています。
ですから、自分を傷つけてまで優先されるべきものではないし、
ましてや命を捧げるようなものではないと、心から思っています。
いや、もちろん誠実には取り組んでいますよ(笑)
これぐらいの姿勢で臨むことで、かえって労働の中に楽しさを見出す余裕も生まれました。
もし天職というものがあるのだとしたら、この延長線上なのだと感じています。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
あなたが少しでも楽に生きられることを祈っております。
p.s.
ひとつ、絶対に誤解しないでいただきたいことがあります。
「天職を探さない」と書きましたが、これは「どんなにしんどくても今の仕事を続けなさい」という意味ではありません。
もし今の仕事が現在のあなたにとって耐えられないほどの負担なら、無理をすることはありません。
次の仕事があろうとなかろうと、まずはそこを離れることを検討してもいいのかもしれません。