瞑想がただ坐ること、それだけであるのと同じように
僕たちもただ生きているだけでいいのです。
しかし、そう言われてもあなたは信じられないかもしれません。
「冗談じゃない。それでは生きている意味がないではないか」
あなたはそう思うかもしれません。
とてもよくわかります。
僕もずっとそのことで苦しんできましたので。
しかし、瞑想を忍耐強く続けることで、あなたは理解するかもしれません。
実はものごとの意味にとらわれることが、苦しみの元なのだということを。
「あの人は善人。あいつは悪人」
「だからあいつは排除すべきだ」
「ポジティブは良い。ネガティブは悪い」
「だから常にポジティブであるべきだ」
「これは成功。あれは失敗」
「成功こそ価値がある」
「だから成功すべきだ」
まずは、僕たちの思考が行う意味づけのひとつひとつに気づいていくこと。
そこからです。
たとえそれが、世間的に「良い」と手放しで賞賛されているものであっても
肯定も否定もせずに
善悪の判断もくださずに
ただ、気づき続けるのです。
すると僕たちは、まるで流れる水が岩を削るように、本当に少しずつですが、意味づけという苦しみから解き放たれるのかもしれません。
意味づけからの解放。
これはまさに、瞑想によって僕たちの心が自然に進んでいく方向なのです。