秋が深まる頃。
どこか哀愁を感じませんか。
清涼で澄んでいて、しかしもの悲しい。
冬に向かい、生命が枯れゆく予感。
この季節に大自然が発する波長のようなもの。
それは光や空気、水を使って地球が織りなしている芸術作品なのかもしれません。
僕たちはそれを魂で、または感覚器官で受信して、心が哀愁という感情にも気分にも似たものを分泌するのでしょうか。
僕はいまだにこの哀愁というものの正体がわからないのです。
たしかにそれはどこか悲しい。
しかし、ただ悲しいだけではないのです。
それは奥底に、優しさや慈悲のようなものを帯びています。
少なくとも僕にはそう感じます。
これがどういう心境なのか。
僕に何をどうさせようとしているのか。
わからない。
しかし、僕の心に哀愁があるとき、快でも不快でもありません。
それでいて、決して見落とすようなものでもありません。
存在感があるのです。
これが何なのか。
どういう目的を持つのか。
わからなくていい。
わからないままにしておこう。
何でもわかろうとすること。
それは人間の傲慢なのかもしれませんから。