本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

祈り

f:id:hamamon91:20211021101257j:plain

 

もし今あなたが何もできそうにないのなら、ただ祈るのもいいのかもしれません。

 

もちろん、あなたが祈ってもいいと思ったらでけっこうです。

 

祈ることなどばかばかしいと思考が強く抵抗するのなら、やめておくことです。

 

そのときは「何もしない」ということも、立派な選択肢のひとつです。

 

もし祈るのであれば、結果などのイメージをしないことです。

 

何かがうまくいった姿の想像は不要です。

 

もちろんあなたが心からそうしたいのであれば、そうしてもかまいません。

 

しかし、自己否定感が強い場合、なかなかそれはうまくいかないのではないかと思います。

 

かえってあなたが苦しくなる可能性が高いのではないでしょうか。

 

精神の働きからみても、それは当然のことです。

 

何より、そのような見返りを期待した祈りは、既に祈りではないと僕は思っています。

 

祈りは願望追及のためのアファメーションではないのです。

 

もちろんそれを否定するものではありませんが、僕はそうしたことはあなたにおすすめはしません。

 

では、祈りとは何なのか。

 

ただ淡々と祈るのです。

 

たとえばあなたが強い不安を抱えて苦しんでいるのなら、

 

「私の心が安らかでありますように」と心の中で唱えるのです。

 

もしくは「私はこの不安感を受け入れます」でもいいかもしれません。

 

言葉はあくまで一例です。

 

これらがしっくりこないなら、あなたの好きな言葉でもかまいません。

 

うまく言葉が出てこないなら、言葉は使わなくてもいいでしょう。

 

ただ目を閉じて、なんとなく祈るだけでもかまいません。

 

心は込めなくていいのです。

 

むしろ心を込めようとしないことが、あなたには適しているかもしれません。

 

結果は関係ありません。

 

ここでは、ただ祈ることが大切なのです。

 

祈りは自分のためでもいいですが、ときには他者のために祈ってみるのもいいかもしれません。

 

誰かのために祈ること。

 

それは立派な他者貢献です。

 

実利を伴うものだけが貢献ではないのです。

 

結果を求めず、ただ何かをやること。

 

実はこれが、真の意味の貢献なのです。

 

業績の「大きい・小さい」は関係ありません。

 

ただやるだけでいいのです。

 

だから祈った結果、何も変わらなかったとしてもいいのです。

 

見返りを期待せずに祈っている時点で、あなたは貢献しているのです。

 

この貢献は、あなたの心を少しずつ浄化していく働きがあります。

 

忍耐強く続けることで、あなたの心は癒されていくことでしょう。

 

何度も言いますが、やりたくないと感じるならやらなくても大丈夫です。

 

祈りだけが貢献ではありません。

 

結果を求めずにやること。

 

それさえ満たしていれば、何でもいいのです。 

 

いや、貢献自体しようとしなくて大丈夫です。

 

なぜなら、あなたが生きていること自体、何かに貢献しているからです。

 

今は信じられなくてもかまいません。

 

生きることさえあきらめなければ、いずれそのことがわかる日が来るでしょう。

 

 

 

p.s.

仏教の「慈悲の瞑想」は、自他への祈りのひとつの代表例です。

 

インターネット上に祈りの言葉がありましたので、リンクを貼らせていただきます。

 

http://www.minmachi.jp/jihinome.htm

 

さあ、ものは試しです。

 

難しいことは脇に置き、ただ機械的に言葉を唱えるだけでいいのです。

 

なんとなくやってみましょう。