サイコ日記・不信感ヲ観察スル
某月某日。
月が美しい夜だ。
心がひたすらにザワザワしている。
「信じてたまるか」と言っている。
思考の渦に取り込まれる。
しかし、これを観察している僕は、「ああ、巻き込まれているな」と自覚している。
「いやはや、すごい渦だ」
思考の渦と表現したものの、もはや言語や映像という形をとっていない。
何かネバネバ・モヤモヤした液体とも気体ともつかない覆いとなって、心におっかぶさっている。
というよりも、思考なのか感情なのかもよくわからない。
おそらく両方だろう。
なんという気持ち悪さだろうか。
目が回りそうだ。
不快で不快でたまらない。
しかし、僕はこの不快さを払おうとはしない。
そんな試みが徒労どころか逆効果であることは、この三十年ほどで吐き気がするほど味わい尽くしているからだ。
「信じてたまるか、と君は言うが・・・」
「いったい何を信じないのか?」
いちおう、この渦の主に聞いてみる。
渦に巻かれたまま不快さに逆らわず、ぼんやりと観察する。
答えを求めずに。
すると主が答える。
言葉ではなく、流動体の感触をもって。
「何が信じられないかって?」
「そんなこと、聞くまでもなくわかっているだろう」
「自分自身をだ」
なるほど、たしかに聞くまでもなかったな。
この不信感、見かけは他者に対してのものという形式を取ってはいる。
が、他者不信とは、突き詰めれば自己不信だ。
そして、僕はこの不信感もそのままにしておく。
「自信を持て」
このような陳腐な励ましが役に立たないこともまた、じゅうぶんに経験済みなのだから。
そして、この不信感の存在さえも許すことが、本物の自信につながることも理解している。
僕はただそこにとどまり続ける。
不快さのなかを。
何も変えようとせずに。
そして僕は、ふたたびこの渦の主に優しく語りかける。
大丈夫。
僕は君を信じている。
今は存分に吐き出していいよ。
この渦はいずれ弱まることも僕は知っているんだ。
そのときは、何か楽しいことでもしようか。