瞑想の偉大な成果物 ~真の自分自身として生きる~
坐るだけが瞑想ではありません。
生活そのものが瞑想の場です。
普段の生活において、できるかぎり自分自身の内面の動きに気づいていること。
そして、できるかぎりそれにのめり込まないこと。
実はそれこそが、最も有意義な実践であると僕は実感しています。
坐って行う瞑想は、日常生活でそのような注意を払うための練習です。
これらを忍耐づよく続けることで、僕たちは次第に自分自身への理解を深めることでしょう。
自己理解が深まるとき、
僕たちは他者や世界をも理解することでしょう。
ひいてはそれは、宇宙への理解や真理へとつながることでしょう。
とはいえ、瞑想に過度な期待はしないのがよいでしょう。
神秘的な気分に溺れるために、やるようなものではないのです。
ましてや、「俺は瞑想をやってこんなに超越的な人間になったのだ」と誇るためにやるようなものではありません。
もちろんそうしたければそうしてもいいのですが、
少なくとも僕は、それはおすすめしません。
むしろ、自分のなかにある醜い部分。
本当はそれは醜くなどないのですが、
あなたの思考がそのように評価を下していた部分。
それも自分の一面なのだと許し、受け入れ、それとともに生きていくこと。
つまり、真の自分自身として生きること。
瞑想がもたらす偉大な成果物は、それなのだと僕は信じてやみません。