本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

いつか

f:id:hamamon91:20220127202842j:plain

 

いつかのために努力すること。

 

現代社会では、それがすばらしいことであると手放しで賞賛されているのかもしれません。

 

「いつか俺はすばらしい人間になるんだ。」

 

「いつか俺は本当になりたい職業に就くんだ。」

 

「いつか俺は理想の暮らしを手に入れるんだ。」

 

あなたもまた、そう信じて努力を続けてきたのかもしれません。

 

その想いは尊いものであると僕も感服します。

 

本当にここまでよく力を尽くしてこられましたね。

 

しかし、あなたがその「いつか」を追い求めることに疲れているのなら、

 

そろそろこれを疑ってもいいのかもしれません。

 

いつかと言い続けて、僕たちはどれほど長い間、この戦いを続けているのでしょうか。

 

本当にそのいつかは来るのでしょうか。

 

なぜ今の自分ではいけないのでしょうか。

 

答えを求めず、ただ問い続けてみてはいかがでしょうか。

 

いつかは一生来ない

 

自分を変えようと努力を続けた果てに、

 

僕は悟りました。

 

「いつかは一生来ない」と。

 

そして、今の自分を受け入れたとき、いつかは必要ではなくなるということを。

 

つまり、このときその問題は解決するのだということを。

 

これは何も、今の自分を好きになりましょうと推奨しているわけではありません。

 

また、今いる環境に我慢して居続けましょうということでもありません。

 

本当は嫌いだと感じているのに、好きなふりをするのはやめましょう。

 

本当は耐えられないのに、自分に我慢を強いるのもやめましょう。

 

それは苦行です。

 

そうではなくて、

 

今の自分を肯定も否定もせず、ただ「そうなのだ」と認識し続けるだけでいいのです。

 

そして、それを変えようとしなくていいのです。

 

だから、今は自分が嫌いなら、「自分が嫌いなのだ」と認めればいいのです。

 

それを咎める必要などないのです。

 

ましてや、自分を好きになろうと自分に言い聞かせたりしなくていいのです。

 

それが受け入れるということです。

 

今を受け入れる

 

そろそろ、

 

何かを獲得したいつかを目指すのではなく、

 

何かになったいつかを目指すのではなく、

 

どこかにたどり着いたいつかを目指すのではなく、

 

今というこの時間を受け入れてはどうでしょうか。

 

今はただ「そうなのだ」と、

 

そしてそれが苦痛なら「苦痛なのだ」と、

 

気づき続けてみてはいかがでしょうか。

 

忍耐強くそれを繰り返したとき、あなたは理解するでしょう。

 

今という時間を受け入れることと、今の状況に甘んじることはまったく別だということを。

 

たとえ嫌いであったとしても、僕たちの前に実在しているのは、今だけなのだということを。

 

いつかを夢見ていなくても、今を受け入れていれば、おのずと望ましい方向に変容していくのだということを。

 

結び・今という時間はいつかのための捨て石ではない

 

長年、僕は・・・

 

ー 今という時間を、いつかのための捨て石のように扱うこと

 

ー いつかという幻のために、今という時間を犠牲にすること

 

ー 今をいつかよりも劣ったものとみなし、ないがしろにすること

 

これらが美徳であると信じてきました。

 

しかし、どうやらそうではなかったようです。

 

僕はそのような価値観を手放すことを、今ここに誓います。

 

今といつかとの間に優劣があるとすれば、

 

それは僕たちの思考の中にしか存在していません。

 

hamamon91.hatenablog.com