頑張らない
頑張ってできることなら、ときには頑張ってみるのもいいのかもしれない。
もちろん、頑張りたいときでかまわない。
頑張らないとできないことなら、やらなくてもいいのかもしれない。
きっと遅かれ早かれ、いずれ限界が来るだろうから。
頑張ってもできないことは、やめておくのがいいのかもしれない。
きっと自分にも周りにも、いいことはないだろうから。
できる・できないにかかわらず、頑張ること。
たしかにそれは美徳かもしれない。
だけど僕たちの肉体は有限だ。
人生の時間は限られている。
水をあげても芽が出ない種子にいつまでも水をあげ続けることが、はたして建設的だといえるだろうか。
だから僕は頑張らない。
頑張らなくてもできることだけやり続ける。
だってもう、一生分の努力をやり尽くしたのだから。
そして頑張らないとき。
そんな自分を咎めることをやめたとき。
僕は自分が収まるところに収まっていることに気づく。
もう僕は忘れてしまったが、それはもしかすると、以前抱いていた理想とは違っているのかもしれない。
昔あこがれていたような「カッコいい生き方」では全然ないだろう。
しかし僕は、これに満足している。
頑張らないことを許容するとき、僕たちは好きや嫌いを超越した心地よさを感じていることだろう。
努力しないことで、本当の居場所に身を置くことができる。
どうやらここはそういう世界のようだ。