空虚な詩を僕は歌う。
むなしさとは、本当は忌み嫌うようなものではないのかもしれない。
そう感じられる方が聴いてくださったなら幸い。
仕事についていけないので、職場からフェイドアウト。
人間関係にどうしてもつまずくので、人間関係からフェイドアウト。
疲れ果てたので、社会からフェイドアウト。
この社会には、僕の手に負えないことであふれている。
だから僕は、活躍することをあきらめた。
なるべく自他を害さずに生きていければそれでいい。
できるかぎりで求めない。
色々なものとの接点を、少しずつ小さくしていく。
意図しなくても、そうなっていく。
どうやらこれが、僕のあるがままの方向性のようだ。
もう僕は、ゲームから降りている。
既に一生分の努力をしたので、
努力とは、あるがままの自分から逃避することだと理解したので、
むしろ頑張らないことが、自他にとってプラスであることを散々目の当たりにしたので、
僕は頑張るという対処法を捨てている。
どうぞ僕にかまわず先に行ってください。
僕は河原の虫の声を聴きながら、ただ坐っています。
僕はそれでじゅうぶんなのです。
「そんなことをしたら、何もかも失ってしまうのではないか」
優しいあなたは、そのように気遣ってくれるかもしれない。
ありがとう。
でも大丈夫。
外形的にはたとえ何かを失ったように見えても、僕たちの身体はここにある。
呼吸もここにある。
心もここにある。
まぎれもなく僕の存在は、今ここに。
だから本当は、何も失くしてはいない。
もちろん、あなたはそのように思おうとしなくていい。
僕の真似などしなくていい。
何かを捨てようなどと努力しないでほしい。
だって、あなたももううんざりでしょう。
人の生き方を真似るのは。
それでいい。
それが馬鹿馬鹿しいと感じるなら、馬鹿馬鹿しいと認めていい。
何かを失くして悲しいなら、存分に悲しんでいい。
そして、もし耐えられるなら、
あなたが感じているそのむなしさは、ごまかそうとしないでほしい。
そこにはきっと、あなたの本心が眠っているのだから。
どうかそれをないがしろにしないでほしい。
ここまで聴いてくれてありがとう。
そろそろ僕は、フェイドアウト。
今日も明日もフェイドアウト。
誘惑があってもフェイドアウト。
そうこうしているうちに、寿命が来た。
ならば、人生からもフェイドアウト。
もう何にも生まれ変わりたくない。
ならば、輪廻からもフェイドアウト。
すべてからフェイドアウト。
すると、思考はジャッジするかもしれない。
「チャレンジを放棄するなんて」
「消極的なやつだ」
「そんなのは最悪の人生だ」
お言葉だが、大きなお世話。
誰もがみんなチャレンジを望んでいるわけではないだろう。
よけいなチャレンジをしないこと。
僕にとってそれは、喜ばしい人生だ。
だから、そんな雑音からもフェイドアウト。
いずれはみんな、この世での生を終える。
ならば、フェイドアウトとは、美しい幕引きのひとつではないだろうか。
僕はそう感じる。
だから僕は、フェイドアウト。
すべてからフェイドアウト。
そして僕は、今日も坐る。
何も求めずに。