本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

空虚な詩③ 戦いの終焉

空虚な詩を口ずさむ。

 

むなしさには、可能性があるのかもしれない。

 

そう感じられるあなたに捧げたい。

 

 

戦いの結末は敗北。

 

そう決まっている。

 

たとえひとときは勝利に見えたとしても、人生全体で観ると、いずれ敗北。

 

なぜなら、それが戦いの本質だからだ。

 

僕は自らの人生で、嫌というほどそのことを味わった。

 

打ち負かした敵。

 

ー 敵は人間とは限らないが ー 彼は復讐の機会をうかがうだろう。

 

そして、さらに強い勢力をもって戦いを挑んでくるだろう。

 

だから戦い続けるかぎり、僕たちはどこかで敗北する。

 

たとえどんなに立派な大義名分によって、自らを正当化したとしても、それは変わらない。

 

だから僕は、戦わない。

 

できるかぎりで。

 

それでもやはり、戦いが避けられないときもある。

 

人間として生きる以上、それは仕方がない。

 

もし戦いになるのなら、僕はつかの間の勝利よりは、敗北がいい。

 

なぜなら勝利とは、新たな戦いへの入口。

 

そして敗北とは、その戦いが終わったことを意味する。

 

ひとつ敗北するたびに、僕たちはひとつの重荷から解放される。

 

だから僕は、何も勝ち取らない。

 

しかし、相手とがっぷり対峙して敗北することは、とてもつらい。

 

僕にはもう、そんな精神力はない。

 

戦いが避けられないのなら、僕はできるかぎりでそこから逃げる。

 

そしてすべてを明け渡す。

 

勝者は相手に譲る。

 

そうすれば、この不毛な戦いから離脱できる。

 

そんな僕を思考は、情けないやつだとなじるかもしれない。

 

もっと頑張れと鼓舞するかもしれない。

 

どう言ってくれてもいい。

 

それでも僕は、戦わない。

 

はじめからマイナスにしかならないとわかっていることのために、僕は人生の時間を使うことはできない。

 

いずれあなたもわかるだろう。

 

抵抗をやめたときが、真の戦いの終焉であるということを。

 

そしてそれは、相手による支配の甘受とは違うということを。

 

さあ、戦わずに坐ろうか。

 

そして、気づき続けようか。

 

そのときあなたに負けはない。

 

なぜなら、あなたは戦わないからだ。

 

hamamon91.hatenablog.com