本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

空虚な詩⑥ やる気はなくていい

空虚な詩は、当たり前を疑う。

 

「そうでなければならない」

 

そう信じて努力して、燃え尽きたあなたに。

 

あるべきものなど何もない。

 

あってはならないものもない。

 

本当は何も、変えなくていい。

 


僕はだいたいやる気がない。

 

基本、何もやる気がない。

 

でも、何もやらないわけではない。

 

必要なことはやる。

 

やる気がないままやる。

 

ただやる。

 

もし「やる気がないなら帰れ」と言われたら、僕は帰るだろう。

 

だって、やる気がないんだから。

 

ない袖は振れない。

 

ご了承願いたい。

 

「だったらやる気を出せ」

 

思考はそう要求するかもしれない。

 

申し訳ない。

 

その期待には応えられない。

 

あなたが何とおっしゃろうと、そういったことはもうしない。

 

やる気を出そうとすること。

 

そのように、自分の心に何かを起こさせようとすること。

 

それは、自分との不毛な戦いであるということを、僕はこれまでの人生で完全に理解している。

 

やる気は、ないときはないし、出るときは出る。

 

それは僕にコントロールできることではない。

 

やる気を出させようと強制するなら、きっと心は抵抗するだろう。

 

やる気を維持させようと画策するなら、きっとそれは去っていくだろう。

 

そして疲れ果て、結局自分が苦しむだろう。

 

ひいてはそれは、自分もみんなもマイナスだろう。

 

だから僕は、決してやる気を出そうとしない。

 

やる気はなくても取り組める。

 

むしろ余計なやる気は邪魔ですらある。

 

やる気があろうとなかろうと、ただやる。

 

それでもできなければ、やらない。

 

もしやる気がないと許されないのなら、そのような場所に長居は無用。

 

当たらず障らずフェイドアウト

 

いずれあなたは気づく。

 

やる気を出そうとしなければ、やる気は起こるときに起こるということを。

 

さあ、ぼちぼち始めるか。

 

坐ろうとせず、坐るかな。

 

気づこうとせず、気づき続ける。

 

そのとき僕は、やる気がない。

 

やっぱりだいたいやる気がない。

 

しかしたまには、やる気がある。

 

そして僕は、それでいい。

 

僕にはそれが、ちょうどいい。

 

なぜならそれが、僕のあるがままだから。

 

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