ただ気づき続ける。
何かをやろうとせず、
何かを起こそうとせず、
何かを振りほどこうとせず、
ただ気づき続ける。
呼吸に、
身体に、
心に、
ただ自分の内面に起こることに、気づき続ける。
何も目指そうとせず、
何も掴み取ろうとせず、
何も探そうとせず、
何も変えようとせず、
何も選ぼうとせず、
何も決めようとせず、
何も求めず、
ただ気づき続ける。
忍耐づよく、繰り返し繰り返し、気づき続ける。
寝ても覚めても気づき続ける。
24時間、気づき続ける。
生きているうちは、気づき続ける。
注意がそれてもかまわない。
それも含めて、気づき続ける。
何かに気づかなかったとしてもかまわない。
気づこうとせず、気づき続ける。
何も気づかなかったとしてもかまわない。
こうあるべきことを持たず、ただ気づき続ける。
できるかぎりで気づき続ける。
すると僕たちは、気づく。
いつのまにか、自分が望む場所に居ることに。
そこに行こうともがいていたときは、決してたどり着けなかったのに。
いや。
ここは、以前求めていた場所とは、また異質のところかもしれない。
だけど、たぶん前から本当に行きたかったのは、ここなのだろう。
そしてそれは、ここではないどこかではない。
たどり着いたのでもない。
前から居たのだった。
まさにここだった。
何だろう。
不思議だ。
ここはユートピアなんかではない。
まるでキラキラしていない。
でも、とても自然で穏やかだ。
無垢な安らぎだ。
そう。
気づき続けることで、僕たちは気づく。
僕たちには・・・
するべきことも、
起こらなければならないことも、
起こってはならないことも、
行くべきところも、
なるべき姿も、
実はそのようなものは、何もなかったのだ。
ただそれがあるというだけ。
そしてそれが美しい。
この理解は、幻を浮き彫りにする。
今ここ以外は、すべて幻。
幻を幻と理解することで、今ここが立ち現れる。
今ここは、それそのもの。
それそのものには、純粋な美しさがある。
追いかけるものもまた、幻。
今ここにないものを追いかけ回す心は、それそのものの美しさを取り逃がす。
それそのものの美しさは、追いかけることをやめた者のところに訪れる。
気づき続けること。
それは、幻からの解放。