彼は一切、ポジティブであろうとしない。
彼は言う。
ポジティブであろうとするとき、
必ず意識の奥にはネガティブが併存している。
ネガティブな感情が苦痛だから、
その反対物のポジティブでそれを追い出そうとする。
もしくは相殺しようとする。
そうしたくなる気持ちはよくわかる。
実際、私もかつてはそうしてきた。
しかし。
この逆説の世界においては、反対物は解決策ではない。
ポジティブによって、ネガティブを駆逐することはできない。
なぜなら反対物は、その反対物と表裏一体だからだ。
ポジティブであろうとするとき。
同時に、ネガティブであってはならないという意識が働く。
そして無意識の領域には、裏腹にネガティブが膨張する。
それはネガティブにとらわれているということと実質的に同じ。
反対物を排除しようとするなら、
反対物もまた、それに対抗するために兵力を増強する。
そして、内面の争いは激化する。
それが自然の摂理。
彼は続ける。
なぜ私たちは、ポジティブであろうとするのか。
なぜあなたは、常にポジティブでなければならないのか。
なぜネガティブではいけないのだろうか。
人間として生きる以上、私たちは、ポジティブなときもあればネガティブなときもある。
むしろそれが、人間の自然な姿ではないだろうか。
ネガティブなときは、ネガティブなままでいればいいのではないだろうか。
しかし、あなたは言うだろう。
「そうは言っても・・・」
「ポジティブになろうとしないと、私の心はネガティブに支配されてしまう」と。
その主張はよくわかる。
それでもやはり、
いや、それだからこそ、
ポジティブであろうとしないのがいい。
きっとあなたはこれまでも、
ポジティブであろうと努力してきたのではないだろうか。
もしそうならば、それは感服に値する。
しかし、心というものは、あなたの一部であって、同時にあなたとは別の生き物でもある。
あなたは、自らの心がネガティブなとき、ネガティブであることを許容してこなかったのではないだろうか。
あるがままを認めてこなかったのではないだろうか。
そして、自分の心をポジティブにさせようとしてきたのではないだろうか。
あなたの心はあなたに反逆し、ますますネガティブであろうとするのではないだろうか。
ならばもう・・・
意識的にポジティブを起こそうとすることを、やめてみてはどうだろうか。
そして、自然と起こるネガティブにも、できるかぎりでそのままに感じてみてはどうだろうか。
これを忍耐づよく続けたとき。
あなたは、起きてくる感情がポジティブでもネガティブでも、どうでもよくなっていることだろう。
ポジティブやネガティブという分類を、いちいち気にかけていないことだろう。
ネガティブに占められていたあなたの心は、そこから健全に動き出すことだろう。
彼は言う。
私は一切、ポジティブであろうとしない。
なぜならここは、逆説の世界だから。
ポジティブであろうとするとき、ネガティブにとらわれ、
ネガティブであることを自分に許容するとき、ネガティブの束縛から自由になる。
そのとき、停滞していた心は生命を取り戻す。
そう。
それが自然の摂理。