本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

戯言・うつとともにある

 

私事ですが・・・

 

つい先日より、うつのため休職中です。

 

20年ほど社会人をやっていますが、うつによる休職は何度目かわかりません。

 

今、私の心は職場の皆さんに申し訳ないという罪悪感と、

 

のんびり過ごせるのがうれしいという素直な気持ちの間で揺れ動いています。

 

以前はこのようにしばしばうつになることが、悔しくて悔しくて仕方がありませんでした。

 

何だか社会人として、いや、人間として自分は欠陥があるのではないかと、強く思っていたからです。

 

だから何とかうつにならないようにしようと、もがいていました。

 

しかし、うつになりにくい気質の人たちと自分を比較したところで、虚しいだけです。

 

私の場合、気をつけていても、うつになるときはなるようです。

 

どんなに予防をしても、私は何年かに一度、うつで寝込む運命のようです。

 

だからもう、うつによけいな抵抗をするのはやめました。

 

以前は自分に合った職に就けば、うつにはならないのではないかと考えていたこともありましたが、

 

どうやら私の場合、そういう問題ではないようです。

 

ここまで何度もうつにり患し、そんな自分を観察し続けたのでよくわかります。

 

おそらく私は、職業や勤務形態をどのように変えたとしても、うつを避けることはできないでしょう。

 

賃金労働を行う以上、私はうつとともにあるのでしょう。

 

どうにもならないのなら、受け入れるのがいい。

 

なので今は、うつをどうにかしようなどともくろんでいません。

 

うつから抜け出そうとも思っていません。

 

私が何かを起こそうとせずとも、時が来れば自然が治癒してくれるでしょう。

 

そして、全体として必要なときは、私はまたうつになるでしょう。

 

だから、罪悪感と安楽のはざまで揺れながら、ただ流れに身を任せるのみです。

 

今、私にできることはそれだけです。

 

以前強く抱いていた、このようにしばしばうつになる自分には、人間的な欠陥があるのではないかという想い。

 

正直に言うと、今もその想いは多少は湧いてきます。

 

でも、そんな想いに真摯に取り合う気は、今はありません。

 

私に欠陥があるのかどうか。

 

そのようなことに私が思索を巡らしたところで、百害こそあれ一理もないことを理解しましたので。

 

私がどんなに考えたところで、そこに正解などないことがよくわかりましたので。

 

何より、欠陥があったとして、一体それがどうだというのでしょうか。

 

努力をして欠陥がなくせるのなら、

 

そして、欠陥をなくすことでうつが根絶できるのなら、

 

遠の昔に私はうつではなくなっているはずです。

 

しかし、そうなっていないのは、まぎれもない事実。

 

だから本意であろうと不本意であろうと、私はこのままの自分で生きていくだけです。

 

ときおりうつになりながら、今できることをやるだけです。

 

できることをやったら、後の処遇は大自然にお任せするのみです。

 

ところでうつにもまた、すばらしい側面があります。

 

診断書という錦の御旗のもと、職責を離れてマイペースに養生することができるのですから。

 

今の私には、本当に心地のいい時間です。

 

だから私は、できるかぎりでうつを敵視しないでしょう。

 

心身が許すかぎり、うつの不快さのなかに浸るでしょう。

 

そんなわけで、今日も私は坐ります。

 

うつとともに。

 

p.s.

こういう陳腐なことを言うのは、感謝の押し売りのようで嫌ですが・・・

 

どうしてもここで、この事実を認めないとフェアではないと感じるので、あえて記します。

 

こうして私が休めるのは、その間に同僚たちが私の担当業務を分担してやってくれているおかげでもあります。

 

職場の皆さんには、この場を借りてお礼申し上げます。

 

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