成功者への羨望
私は羨んでいた。
ああ、彼らはなんて活き活きと暮らしているのだろうか。
仕事も充実しているし、
趣味も楽しんでいて、
対人関係も円満だ。
私には、そう見えていた。
それにひきかえ、私はどうだ。
仕事もできないし、
趣味も中途半端で、
対人恐怖もきわめて強い。
ああ、彼らのようになりたいなあ。
世間で名を上げたいなあ。
私は、彼らのようになろうと自己啓発を続けた。
どんなに努力をしても、
彼らのようにはならなかった。
冴えない私のままだった。
私はあきらめた。
世間で名を上げることは、私には無理だなあ。
超越者への羨望
すると、スピリチュアルリーダーが現れた。
彼らは恐怖を超越した聖者のようだった。
私には、そう見えていた。
私は期待した。
彼らのように恐怖を超越すれば、
私も自由に生きられるにちがいない。
もしくは、物質世界では辛酸をなめ続けたが、
精神世界でなら活躍できるかもしれない。
私は、行に励んだ。
どんなに努力をしても、
彼らのようにはならなかった。
対人恐怖で身動きが取れない私のままだった。
また、プライドが高すぎて、精神世界でも協調できなかった。
私はあきらめた。
恐怖を超越することも、
精神世界で活躍することも、
どうやら私には無理のようだなあ。
私は私にしかなれない
誰かのようになるとか、
名を上げるとか、
活躍するとか。
そういうこと自体、もういいや。
野心をいたずらに満たそうとした私が愚かだったようだ。
よくわかった。
うらやんだところで、私は私にしかなれない。
私は私にできるようにしかできない。
「雁が飛べば、石亀も地団駄」
石亀でもいいんじゃない。
翼はなくても、硬い甲羅がある。
甲羅の中にうずくまり、またはゆっくり歩けばいい。
石亀は石亀であることを自覚し、
石亀にできることをやっていけばいい。
なれもしない雁をうらやみ続け、
石亀である自分を悔やみ続けるより、
そちらのほうが、私にはよほど建設的だと理解する。
小さく妥協する
世の中には、羨望を掻き立てるような情報であふれている。
大きなことを成し遂げることや、
人生を存分に謳歌すること、
妥協せずにやりたいようにやることが、
すばらしいことだともてはやされているかもしれない。
それがすばらしいことかどうか、
今の私にはわからない。
私に言えた義理ではないが、
おのおのの好きでいいと私は思う。
しかし、それらがすばらしいことならば、
小さく妥協しながら、今できることだけをやることもまた、
同じくらいにすばらしいにちがいない。
分をわきまえる
「私のようになりたいですか」
この先、誰が現れてそう言おうと、
私はこう答えるだろう。
「遠慮しておきます」
たしかにあなたはすばらしいが、
私はあなたではありません。
だからあなたのようにはなれません。
不合理でも、
納得がいかなくても、
輝かしくなくても、
私は私の分をわきまえて、
今の私にできることだけを、
細々とやり続けます。
注釈1
以前はわかりませんでしたが、
かつて私が羨んだ人たち。
充実した生活を送っているように見える彼らや、
恐怖を超越したかのように見える彼らにも、
彼らに見合った苦悩がたくさんあるようです。
きっと私には、そんなものは背負いきれないでしょう。
注釈2
誤解のないようにお願いしたいのですが、
私は成功したいという望みや、やりたいようにやることを否定しているわけではありません。
誰しもそういった欲求は、大なり小なりあると、私は思います。
当然私にも、大いにあります。
欲求があるのなら、裏腹に恐怖がある。
それもまた、まぎれもない事実です。
私は、不本意ながらも、この恐怖の影響を強く受けてしまうようです。
欲求や恐怖とどのように折り合いをつけるか。
それは人それぞれだと、私は思うのです。