本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

2019-08-01から1ヶ月間の記事一覧

リラクゼーションの基礎は「評価をしない」こと

マインドフルネスの基本的姿勢のひとつに「評価をしない」ことがあります。 私はこの姿勢が、リラクゼーションの基礎となると思っています。 リラックスをしようとすると緊張してしまう人は、多くいらっしゃるのではないでしょうか。 私もかつてはそうでした…

ただ「生きるため」に生きる

私はかつて、何かを「得るため」に生きてきた。何かを得た先にゴールのようなものがあり、そこにたどりつけば楽園のような場所がある。そう信じていた。 しかし、得ようとして努力をすればするほど、満たされなかった。たしかにその過程で得たものはたくさん…

「好き」と才能

前回、「仕事」とは何かの記事で、「仕事」という言葉の意味について、私なりの意見を述べました。私は、現代社会は必要以上に「好きなこと」をすることに対して罪悪感を持っているように思うのです。趣味と仕事を分離することに、あまりにも神経質になりす…

「仕事」とは何か

世間一般に「仕事」というと、報酬を得るための「労働」のことを指していると思います。 私も長らくそう思っていました。 せっかくやるなら好きなこと「仕事」にしたい。 でも、金にならなければ「仕事」じゃない。 人の役に立たなければ「仕事」じゃない。 …

「手放す」とは

このブログでもよく使っている表現かと思いますし、心理読み物などにもよく登場する「手放す」という言葉について、その体感を言葉で説明したいと思います。 私もこの感覚を体得するのは苦労したものですから。 執着を「手放す」とか、ある感情を「手放す」…

判断しない

前回の記事、「気付くだけでいい」の続きです。 さて、やらなくていいことをやめるにあたり、どのようにして「やらなくていい」と決めればよいのでしょうか。 その判断基準は何でしょうか。 実は、判断しなくてよいのです。 判断をせず、あなたの「感じ方」…

ただ気付くだけでいい

前回の記事、「やらなくていいことをやめていく」の続きです。 さて、この「やらなければならない」という義務感は誰が作っているのでしょうか。 それは、私たちが自分で作っているのです。 ただ、ここで早まらないでいただきたい。 自分で作っているとはい…

やらなくていいことをやめていく

私はかねてから、「やるべき」と信じられていること(もしくは、自分が信じていること)の大半はやらなくていいことなのではないかと思っていました。 しかし、やめる勇気が持てませんでした。 それをやめることで損をしたり、批判されることが怖かったので…

自分の中の「やな奴」と共存する

私はかつて、100パーセントの善人を目指していました。メンタルの不調で苦しんでいたとき、自分の考え方に問題があると考え、それを改造しようとしていたのです。そこで参考にした心理読み物の文章から、著者であるカウンセラーやセラピストが聖人君子に思え…

「心地よさ」に素直になる

私はかつて、自分の「心地よさ」に対して素直になれませんでした。人は基本的に怠けるものだ。だから、「心地よさ」を味わってしまったらそれに溺れ、安易に流されるのではないか。そう思い込んでいました。そして、心地がいいと感じることを遠ざけていまし…

魂のふるさと

私はいま、岐阜県の山間の村に一時滞在しています。清流・長良川沿いの素朴な農村といったところでしょうか。私は10数年前、ひょんなきっかけでこの村を知り、その魅力にとりつかれました。以来、自宅から350kmほど離れたこの村に毎年のように通っているので…

達成していない自分が許せないあなたへ

【閲覧注意】 やや強い語調で自論を述べています。 断定的な言い回しを多用しています。 また、多少過剰な表現も含まれています。 不快に感じたときは、すぐに退出されることをお勧めします。 ------------------------------------------------------------…

本質を活かす

私は人にはそれぞれ本質があると思っています。本質とは、ひとことで表すと、生まれもって変わらない適性のようなものです。たとえば、右利きや左利きのように。右利きの人が、努力をして左手を器用に使えるようになることはできるかもしれません。でも、右…

夢は持たなくてもいい

まだまだ世の中は、挫折を良くないことだと捉える風潮があるようです。 たしかに挫折をしたときの敗北感、悔しさ、空虚さはとても苦しいものです。 まるで自分という存在が否定されたかのような気分になるときもあるのではないでしょうか。 それまでに自分が…