瞑想
ただ気づき続ける。 何かをやろうとせず、 何かを起こそうとせず、 何かを振りほどこうとせず、 ただ気づき続ける。 呼吸に、 身体に、 心に、 ただ自分の内面に起こることに、気づき続ける。 何も目指そうとせず、 何も掴み取ろうとせず、 何も探そうとせず…
瞑想とは、何も目指さないこと。 何も得ようとせず、ただそっと意識を置くこと。 だから、僕たちはなるべく目指さない。 これを忍耐づよく続ける。 そのとき、目指さないことによって、僕たちに様々な恩恵が現れることに気づく。 それはリラックスであったり…
壱・無執着への試み 執着とは何かにつけて自分を束縛するもの。 そのことを僕たちは、思考レベルでじゅうぶんすぎるほど心得ています。 だから執着しなければ、苦しみは少ないはず。 僕たちはそのように考えることでしょう。 すでに紀元前の時代から、ブッダ…
受け入れるとは それをそれと認めること。 それが受け入れるということ。 苦しみを苦しみと認める。 不快を不快と認める。 好きを好きと認める。 郵便ポストが赤く見えるなら、ポストは赤いと認める。 仕事が馬鹿馬鹿しいと感じるなら、馬鹿馬鹿しいと感じて…
身体にそっと意識を置く。 何も感じようとせず、ただ置いてみる。 どこか特定の部位にではなく、全体的にぼんやりと。 すると、なんとなく身体の感覚が現れる。 たいした感動はなく、かすかに身体を感じる程度だった。 すっきりするわけでもない。 相変わら…
ただそっと意識を置く瞑想において、あなたは集中しようとしなくていいのです。 呼吸などの対象に注意を縛り付ける必要はありませんし、そこから注意を離すまいと意識する必要もありません。 おそらくそうした方法は、強い苦痛を生むのではないでしょうか。…
瞑想において、心を開いていることは大切です。 瞑想とは観察であると、僕はこのブログで何度か申し上げています。 観察とは、ものごとやそれらの関係性を理解するために効果的な注意の払い方です。 なぜなら、理解とは、心を開いて観察しているときに起こ…
坐るだけが瞑想ではありません。 生活そのものが瞑想の場です。 普段の生活において、できるかぎり自分自身の内面の動きに気づいていること。 そして、できるかぎりそれにのめり込まないこと。 実はそれこそが、最も有意義な実践であると僕は実感しています…
僕は瞑想のとき、 何かをイメージしようとしません。 何かを思い出そうとしません。 心の声で何かをアナウンスしたり、 マントラを唱えたりしません。 呼吸をコントロールしようとしません。 呼吸を数えたりしません。 何かを感じようとしたり、 感覚を維持…
瞑想とは、自分の存在を磨く作業でもあります。 存在を磨くとは、自分の存在をアピールすることとは違います。 自分の存在そのものの価値に気づくということです。 存在そのものの価値。 それは何かができるから、何かを成し遂げたから、何かを所有している…
瞑想は、肯定も否定もしません。 瞑想は、集中でも散漫でもありません。 瞑想は、緊張でもリラックスでもありません。 ただ広がりの中にたたずんでいるのです。 このように、瞑想中の心というのは極めて中立的なのです。 瞑想が深まっているとき、あなたは…
夢や成功願望という形をとった野心 夢や成功という言葉で飾られてはいても、もしかするとこれもエゴが作り出す野心かもしれない。 その奥底には、 「俺だけは特別でいたい」 「成功することで特権を独占したい」 「人より優位に立って一目置かれたい」 そん…
瞑想がただ坐ること、それだけであるのと同じように 僕たちもただ生きているだけでいいのです。 しかし、そう言われてもあなたは信じられないかもしれません。 「冗談じゃない。それでは生きている意味がないではないか」 あなたはそう思うかもしれません。…
瞑想の要は、ものごとに対して評価をくださないことです。 あなたも瞑想関連の情報で、「ジャッジしない」という言葉を聞いたことがあるのではないかと思います。 それはまさにこの態度のことです。 これがある程度身に付いたなら、あなたの瞑想は格段に奥行…
生きづらかったころの自分。 それを解決しようと努力していた自分。 そして今の自分。 少し振り返ってみた。 ずいぶんと変容したなあとしみじみ感じる。 生きづらさを強く感じていた頃、自分のことが嫌いで嫌いで仕方がなかった。 こんな自分は自分ではない…
僕たちはおそらく普段、「あれもしなければならない、これもしなければならない」と忙しく日々を過ごしていることでしょう。 常に行動に駆り立てられて苦しんでいる人もいらっしゃるかもしれません。 その根底には、「行動しないと不利な立場になるから危険…
あなたがあなたであることをあなたに許すこと。 それがあなたの自己解放である。 自己解放に結果は必要ではない。 それは決意があれば足りる。 真に偉大なものは、自分を許すという決意である。 なぜなら、どんな状態になろうと、そのように決意したあなたは…
自覚とは、自分の状態に気づいているということ。 そして、それに良いとか悪いとか判断を下していないということ。 気づき続けたまま、それをそのままにして、変えようとしないということ。 誰かに嫉妬しているなら、私は嫉妬しているのだと認めている。 そ…
前回記事で、メンタルヘルスにおいて、思考そのものをコントロールしようとする試みがうまくいかない理由をご説明しました。 今回は、思考のコントロールに代わる方法として、マインドフルネスではどのようにアプローチをするのか、お伝えしたいと思います。…
※注意※ この記事は、ポジティブ思考やそれを実践している方々を貶めることが目的ではありません。 ポジティブ思考がうまくいかずに自分を責めてしまう人に対して、「あなたのせいではない」ということを知っていただくとともに、別の方法を提案させていただ…
あなたは激しい思考の渦に巻き込まれ、混乱してしまったことはありませんか。 どんなに心を落ち着けようとしても、考えは治まる様子がない。 それどころか、落ち着けようとすればするほど、その渦は激しさを増す。 その苦しさ、とてもよくわかります。 しか…
マインドフルネスによって自分の心と健全に関わっていく過程を一言で表すなら、それは「思考を超越する」ということです。 もしかするとこれは、マインドフルネスだけでなく、様々な心理ワークや、いわゆるスピリチュアルといわれるもののワークに共通したこ…
「瞑想で無になる」 「瞑想で雑念が消える」 そのようなお触書を目にされた方はいらっしゃるかもしれません。 そして、そのような神秘的な状態に憧れるかもしれません。 人それぞれ何を目指すかは自由ですから、もちろんそれもいいと思います。 しかし、突き…
「これを変えなければ、自分が損をする。」 「人を動かそうとしなければ、自分の地位が脅かされる。」 「威圧しなければ、自分がなめられる。」 そう考えて、自分の思い通りに人やものごとをコントロールしようと画策してきたかもしれません。 僕もそうだっ…
瞑想において、探そうとしない姿勢は大切だと僕は思います。 坐して、もしくは横たわって瞑想をしている間、何も探そうとしません。 心地よさも、 リラックスも、 集中も、 洞察も、 何も探しません。 ただ来るものに対して、なるべく平等に注意を払おうとし…
瞑想をしているとき、僕たちは自然と一体です。 自然はおそらく、区別も判断もしていないでしょう。 つまり、自然とは、思考から自由だということです。 ならば、自然はまったく無秩序かというと、それは違うと思います。 大自然にも大いなる意志があると感…
マインドフルネス瞑想は、一言で申し上げるなら観察です。 視覚だけでなく、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五感によって、もしくは「心の眼」によって、様々な対象を観察します。 それによって、感性が冴え、場合によっては第六感(直感やインスピレーションなど…
前回記事で、「キャッチフレーズ」について述べました。 「キャッチフレーズ」は魅力的に響く分、よく「独り歩き」をする。 だから、もしそれらに振り回されて苦しいなら、その真意がわかるまで、むやみに信じようとすることを保留してはどうかとお伝えしま…
ここまで、僕が実感したマインドフルネスの効果について述べてきました。 マインドフルネスの実践によるこれらの効果は、僕の生きづらさを根本から大きく改善してくれました。 しかし、ここで断っておきたいことがあります。 それは、深い意味において、僕自…
僕はマインドフルネスにどのような効果を感じたのか。 それを証言するこの連載記事も、いよいよ終盤に差し掛かりました。 ↓↓ この連載記事の意図および注意事項 ↓↓ hamamon91.hatenablog.com これまでお話ししたマインドフルネスの効果のうち、枝葉に当たる…