今できることをやるということ
今できることをやるということ
今できることをやるということ
それは、本当に今ここで自分ができることだけをやるということ
そして、頑張らないこと
できないことを、できるようになろうと努力しないこと
それが今できることをやるということ
今疲れ果てて何もできないならば
何もしないということ
もしくは休息をするということ
それが今できることをやるということ
今、空腹が耐えられないのならば
何かを食べるということ
それが今できることをやるということ
目の前のピッチャーの投球が自分には速すぎて
まともにスイングしてもバットに当てられそうにない
そんなとき、バットを振らずに球数を投げさせてピッチャーを少しでも疲れさせること
もしくは、バントならできそうならば、バントしてみること
または、三振してもいいからスイングしたいという気持ちが起こったなら、バットを振ってみること
それが今できることをやるということ
今できないことを自分にやらせるということ
今はそれができないのに、自分に無理にさせるということ
疲れ果てているのに、我が身に鞭打ってやらせること
本当はそんなことをしたくないのに、限界を超えて頑張ること
それは、今できないことを自分にやらせるということ
真の成長
私たちはこれまで、今できないことを自分にやらせることは、自身の成長に必要であると信じてきた
そして、今できることをやるということを、成長の放棄だとみなしてきたのかもしれない
もしあなたが、ずっと何かを達成しようと頑張り続けてきたのなら
今できることをやるということは、きっと刺激が足りないに違いない
だから、そんな姿勢で成長するわけはないだろうと考えるかもしれない
そして、成長するには強い負荷がなければならないと考え
今できないことを、やむなく自分に課してきたのかもしれない
私もそうだったので、気持ちはよくわかる
しかし、本当にそうだろうか
今できないことを自分にやらせないと、本当に私たちは成長しないのだろうか
私には、わからない
成長という言葉が、場面によってまるで違う意味を帯びるからだ
もしかすると、一部は本当なのかもしれない
しかし私には、そうではないことのほうが大きかった
今できないことを自分にやらせても、できないことは、やはりできなかった
だから結局は、できない自分を受け入れるよりほかになかった
私は、今できないことを自分にやらせ続けた半生で、次のことを理解した
今できないことを自分にやらせることは、今それができない自分の否定であるということを
この理解こそ、私の成長である
そしてその後、今できることをやり続け、このことを理解した
今できることだけやる自分を、できるかぎりで許容すること
そのうえで、今できることを、できるかぎりでやること
実はそれが、最大限の効果を発揮するのだということを
そうすることで、私にはできないと信じていたことは、たまにできることもあるのだということを
これにより、私は真の意味で成長するのだということを
もちろん、ここでいう「できるかぎり」とは、限界を超えようともがくことではない
無理なくできる範囲のなかでやる、というニュアンスである
今できることしかできない
突き詰めるのなら
私たちにどんな理想があったとしても
もちろん、どんな理想もあっていいのだが
その理想にかかわらず
私たちは、今ここでできることしかできないのではないだろうか
そして、それでいいのではないだろうか
なぜなら、この世界には様々な人たちがいるからだ
私に何かができなくても、
ほかにそれができる人が、必ずいるはずだ
私ができることも、また同じ
ほかにそれができない人が、必ずいるはずだ
だから私たちは、今ここでできることだけやればいい
そして、ゆだねていればいい
p.s.
ジョン・カバットジン博士も、瞑想プログラムのなかのリードでこのようにおっしゃっています。
「最大限の効果は、何かを達成しようとしないことで得られます」と。
私はこの真意を体感したとき、生きることがとても楽になりました。