戯言・ポンコツという言葉への憎悪
これは、窓際サラリーマンの遠吠えです。
うつがひどいときに浮かんできた言葉たちです。
さすがにこの文章はアレかなと思い、公開していませんでしたが、今読むとちょっと面白く感じます。
はっきりいって、とても情けない文章です。
しかし、自分の心をごまかさずに観るということがどういうことか、少しでもヒントになれば幸いと思い、アップさせていただきます。
読むに堪えないと感じられた方は、その時点ですみやかにご退出をお願いします。
最近ときおり耳にする「ポンコツ」という言葉。
いつのまにか、人間に対しても使われるようになっているようです。
とても嫌な言葉です。
人を生産性や能力ばかりで判断しているかのような、狭量な表現だと感じます。
もちろん、かくいう私もポンコツサラリーマンです。
残念ですが、客観的にサラリーマンとしての適性を観るなら、これは認めざるをえません。
強引な解釈によって、私は優秀だなどと主張する気もありません。
そんなのはむなしいだけです。
だからこそ、私はこの言葉に憎悪を感じるのです。
私の偽りの自尊心は、この言葉によって傷つけられるわけです。
正直、とても悔しいです。
しかし、これまでの人生でこれでもかと突き付けられた事実なのだから、反論もできないし、異論を唱える気も起こりません。
抵抗すれば、よけいに疲れるだけです。
頑張ったところで、ポンコツがポンコツでなくなるわけでもなし。
もう散々努力してダメだったのだから、そんなことぐらいわかっています。
だから頑張る気もありません。
ポンコツなまま、できることだけをできるかぎりでやります。
それ以上求められたところで、ない袖は振れんのです。
ほかを当たってください。
「そこまで言うなら、サラリーマンなんてやめてしまえ」
「お前のようなのがいたら、職場の士気が下がるだけだ」
「ほかに適職を探せ」
そう言いたくなるかもしれません。
おっしゃること、よくわかります。
しかし、あいにくですが、それも存分にやりました。
そうできるのなら、とうの昔にそうしているはずです。
残念ながら、私は根本的に仕事ができない君のようです。
適職なんてないから、まだなんとか面の皮一枚つながっている窓際サラリーマンで食いつながせていただいております。
認めたくはありませんが・・・
本当は、自分のやりたい仕事をやって、いきいきとしている人がうらやましくて仕方がないのでしょう。
でも私は、羨望という心への同調が何のプラスにもならないということも理解しています。
私はもう、いつかどこかにあるかもしれない天職など、探しにいったりはしません。
そんな行動は、偽りの自尊心を一時的に高揚させるだけです。
そのあとに同等の失望感におそわれることぐらい、もう知り尽くしています。
たとえ不本意でも、私にとって、今ここで自分にできることが窓際サラリーマンなのでしょう。
だから私は、ただそれをやっているだけです。
だいたい私は働きたくないのです。
これは私だけではないのだと思いますが・・・
賃金労働などしなくても生きていけるのなら、私は働きません。
当たり前でしょう。
ポンコツなどと自分で認めざるをえない労働を、
しかも、私にとっては全然楽しくもないそれを、
進んでやりたいわけがありません。
私にも生活がありますので、お金のためにいやいややっているだけです。
正直、私が向いてもいない社会人として働いて、
自分でもそれが何なのかよくわからない事務仕事を体裁だけ整え、
要求されているスピードよりも遅いペースで仕事を回し、
ときおりうつで休職し、
その仕事の穴埋めを他の職員が行う。
そのような繰り返しに、賃金以外に何の喜びがあるというのでしょうか。
労働は社会奉仕だなどと言いますが・・・
私の場合、賃金労働などするよりも、無職でフラフラしながらでも、よけいなことをせずに坐っている方が、
よほど世の中のためになるのではないかと感じるのです。
もしくは、たとえ賃金は発生しなくても、機嫌よく家事や畑仕事でもやっているほうが、よほど社会の役に立つのではないかと思うのです。
実際、労働中は精神的に余裕がなくて邪気を発しているかもしれませんが、休職中はとても安らかな気分です。
「だったら専業主夫にでもなれ」
そう言いたくなるかもしれません。
いやはや、おっしゃるとおり。
しかし、それもダメなことぐらい目に見えています。
そもそも結婚というもの自体、したくはないのですが・・・それはさておき。
結婚生活ほど難しい社会生活はないのではないかと、私は様々な夫婦を見ていて感じます。
社会不適合者である私に、結婚生活を成立させることなど、できるはずがないのです。
もういいじゃないですか。
結局私は、窓際サラリーマンがベストなんです。
ここで私がいかに情けなく愚痴ったところで、この資本主義という社会システムが変わるわけではないし、
私もまた、窓際サラリーマンのほかに生きていけるだけの金を稼ぐことができる有効な手段がわからないので・・・
私はポンコツなまま、サラリーマンとして仕方なく働き続けます。
たとえ職場の寄生虫と呼ばれても。
はい、職場の皆さんごめんなさい。
私も好きでやっているわけではないので、どうぞお許しを。
そして、こんなポンコツの私でも優しく接してくださる現所属の皆さん、本当にありがとうございます。
書いていてだんだんあほらしくなってきたので、そろそろここらへんにしておきます。
私には社会を変える力などありませんし、そもそもそんなことをする気もありませんが、
人のことをポンコツだなどと呼ぶ必要のない社会、
すなわち、人を生産性や能力で評価する必要のない社会が、いつの日にか到来してくれたらいいなあと妄想しつつも・・・
まったく期待せず、日々をただ生きていきます。
だから私は、今日も坐ります。
何も求めずに。