大丈夫
過剰に「キラキラした」言葉や綺麗ごとが苦手な僕ですが、そんな僕でも好きな言葉があります。
それは「大丈夫」という言葉です。
なぜならこの言葉は、究極的な真実を述べた言葉だと感じるからです。
あなたは今、苦しみのなかにあるでしょうか。
どんな想念が作り上げているものであれ、その「苦しい」という感じは、紛れもなくあなたにとっての事実です。
ですから、その感じ方自体は妄想などではないと僕は思います。
自分は今、苦しいのだとしっかり認めてあげればいいと思います。
しかし、あなたが苦しみのなかにあったとしても、あなたはきっと大丈夫に違いありません。
これは何も、苦しみを押し殺して、苦しくないふりをしなさいと言っているわけではありません。
もし真の自分自身として生きたいなら、むしろそのようなふりは、なるべくやめることをお勧めします。
苦しいものは苦しい。
それでいいのです。
というより、それで仕方がないのです。
苦しみ自体を自分のなかからどうにかしようとすると、かえって苦しみが増幅します。
だから、苦しみはなるべくそのまま感じるのがよいのです。
しかし、その苦しみを感じていたとしても、あなたは大丈夫なのです。
大丈夫だと思えなくて構いません。
いや、大丈夫だと思おうとしないほうがいいかもしれません。
それでもあなたは真実として、大丈夫なのです。
たとえ、大丈夫ではないように思えたとしても、大丈夫なのです。
なぜなら、どんな考えや感情があったとしても、あなたの存在は変わらずそこにあるからです。
あなたが生きているかぎり、そこにあり続けるからです。
立ち向かうことをやめ、そこを離れたとしても大丈夫です。
逃げているように見えるその最中も、あなたの存在は体を伴って、しっかりそこにあるからです。
そしてあなたが行く先は、無数にあるからです。
生きているかぎり、あなたは大丈夫です。
「ここだけが世界の全てだ。」という考えが虚妄であると知ったとき、あなたはどうとでも生きられるということに気がつくかもしれません。
つまり、あなたは本当に大丈夫なのです。
だから抵抗をやめ、苦しみに身を委ねてみるのもいいかもしれません。
するとあなたは気づくでしょう。
人生において、小細工を弄する必要はないのだということを。