本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

恐怖の中にとどまる

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スピリチュアルの教書などで、僕たちを不自由にしている根源は恐怖なのだという情報をよく目にするかもしれません。

 

そこであなたは、恐怖を感じることそのものを「悪」と判断して、自分の中にある恐怖心の存在を否定するかもしれません。

 

こうした関わり方は、有効だったでしょうか。

 

自分にとってそれが適切な方法であると心から感じられる方は、ぜひ続けていただいたらいいと思います。

 

しかし、もしそうでないなら、一度恐怖心との関わり方を見直してみてはどうでしょうか。

 

恐怖の存在を認める

 

もしあなたに折り合いを付けたい恐怖があるのなら、その恐怖を少しずつ感じてみてはいかがでしょうか。

 

恐怖を感じるまいと押し殺すこと

恐怖などないと強がること

「こんな恐怖は幻想だ」と思い込もうとすること

 

残念ながら、こうした対処は恐怖を克服したことにはならないのです。

 

言ってみれば、クローゼットのなかに「見たくないもの」を押し込めて、「このゴミはもう処分した。」と自分に信じ込ませているようなものではないでしょうか。

 

「手放したいものがあるときは、まずその存在を認める。」

 

これはマインドフルネスによる癒しのプロセスの定石です。

 

だから、手放したい恐怖があるのなら、まずは自分の心の中にあるその恐怖の存在を認めることです。

 

つまり恐怖をなるべくそのまま感じて、そこにとどまるのです。

 

「この恐怖はそのままにしても大丈夫だ」

 

あなたの内面深くにある意識がそのことを理解したとき、いずれその恐怖は消失していくことでしょう。

 

そのタイミングは、自然に訪れます。

 

それは僕たちがコントロールできるものではないのです。

 

恐怖そのものは幻などではない

 

しかし、この取り組みが簡単なことではないということは、百も承知です。

 

ですから、極めて重要なことをお伝えしたいと思います。

 

それは、無理せず少しずつやっていただきたいということです。

 

なぜなら、あなたが感じている強い恐怖心。

 

それそのものは、幻などではないからです。

 

事実、あなたはその恐怖を感じている。

 

冷や汗が出たり、胸や胃に痛みを感じるなど、身体にも反応が表れている。

 

これが幻などであろうはずがありません。

 

しっかりと実在しているものです。

 

だから、「私は今、恐怖を感じているのだ。」と認めてあげることです。

 

今向き合えない恐怖からは逃げてもいい

 

また、今向き合えない恐怖に対しては、慎重に接しましょう。

 

なるべく見ないようにする。

場合によっては逃げる。

 

常にそうした選択肢を残していただきたいと思います。

 

あなたももうおわかりでしょう。

 

この恐怖は残念ながら、理屈などで説き伏せられるものではないということを。

 

「怖くない、怖くない・・・」

 

そのような生易しい自己暗示が気休めにもならなかったことは、あなたももう充分経験済みではないでしょうか。

 

それは竹やりでB29を撃墜しようとするようなものです。

 

到底「勝ち目のない戦い」です。

 

だから、この恐怖に対して説得など試みないことです。

 

僕自身、「支配的な男性」に対して強い苦手意識があり、そうした人たちの批判的な言動に激しい恐怖を感じてきました。

 

「自分のしたことで機嫌を損ねたのではないか?」

 

そのような疑惑が起こったときは、もう止まりません。

 

理屈抜きの恐怖の渦が起こります。

 

死ぬはずはないとわかっていても、死ぬのではないかと思うぐらいの感覚です。

 

本当につらいですが、僕がこの恐怖に対してできることは、苦しみの中でただ待つことだけなのです。

 

実際、この恐怖がいつ消えるかわかりませんし、一生僕の心の中に存在し続けるかもしれません。

 

そして、僕はそれでいいと思っています。

 

自分の意志で消せるものではないので、抵抗しても仕方がないのです。

 

それに、いざとなったらその恐怖から逃げ出せばいいのです。

 

だからあなたも、このワークに取り組むときは、どうか忘れないでいただきたいのです。

 

「耐えられないときは、いつでも逃げればいい。」ということを。

 

「この恐怖を克服できなければ、人生終わりだ」などと深刻に考える必要はないのです。

 

僕が常々、この世界は無限だといっているのはそのためです。

 

仮にその恐怖と折り合いがつかなくても、あなたが生きられる場所はいくらでもあるからです。

 

ひとところに落ち着かず、ジプシーのように転々とするのもまた、ひとつの生き方ではないでしょうか。

 

不安定を受け入れることこそ、真の安定なのです。

 

 

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