大自然に立ち戻る
大自然には本来、締め切りというものはない。
締め切りを設定していなくても、季節が来れば花は咲くし、鳥たちは巣を作り終える。
ものごとは完璧なサイクルによって、おのずと循環している。
生命とはこういうものなのだろう。
「いついつまでにこれこれをしろ」
そのように意図的に細かく締め切りを作るのは、この地球上で人間ぐらいのものではないだろうか。
「これはすぐにしてもらわないと困る」
「インターネットで買い物をしたら、2、3日以内に配達完了すべきだ」
そして僕たちは、どんどんせわしなくなる。
技術が発達しても、利益を増やすことにばかり使うものだから、僕たちのやることが減ることはない。
それどころか、人類が作るシステムはさらに複雑怪奇になっていく。
だから、永久に安らぎは来ない。
そして、要求に応えるたび、その要求はどんどんエスカレートしていく。
まるで人間の欲望のようだ。
本来、人間界も大自然の一部であるにもかかわらず、僕たち人類は、好んで不自然と不自由を選んでいるかのように見える。
ならばせめて、一日のうちのわずかでも、大自然に立ち戻ってみてはどうだろうか。
自然の流れに身を任せてみてはどうだろうか。
瞑想とはそのような時間である。
思考を観察しているとき、あなたは思考とは分離している。
そのときあなたは、思考という不自然さを好む生き物の支配から脱している。
それはたとえひとときであっても、あなたにとって自然であり、かつ自由な時間なのだ。
これを続けていったとき、あなたは気づくかもしれない。
人間社会で「こうであるべき」と信じられていることの大半が、脅迫であることを。
そして、必ずしもそれらに従わなくてもいいということを。