身体に意識を置く
あなたは激しい思考の渦に巻き込まれ、混乱してしまったことはありませんか。
どんなに心を落ち着けようとしても、考えは治まる様子がない。
それどころか、落ち着けようとすればするほど、その渦は激しさを増す。
その苦しさ、とてもよくわかります。
しかし、そろそろ「心とはそういうものだ」と認めてもいいのかもしれません。
思考の渦をそのままにする
僕たちは流れのなかで循環しているので、どんなに心を整えていても、思考の波が激しくなるときはあります。
残念ながら、マインドフルネスが熟練したとしても、不調時にはそれは起こるでしょう。
※思考の渦が起こらないことや、それらに飲み込まれないことではなく、それらに飲み込まれても「混乱しないこと」こそ、マインドフルネスの恩恵なのです。
そんなときは、心を落ち着けようとすることをやめてしまってはどうでしょうか。
その混乱の正体は、おそらく「心は落ち着くべきだ」という考えでしょう。
ならば、思考の渦をそのままにし、「心は乱れるときもあるし、乱れても大丈夫なのだ」と理解したとき、きっと混乱は治まるはずです。
とはいえ、「心は乱れてもいいんだ」と言い聞かせるなどの自己洗脳は、しないことをおすすめします。
思考レベルで抵抗を手放そうとすると、きっと心はさらに抵抗を強めるでしょう。
身体に注意を向ける瞑想
そんなとき、身体に意識を置いてみるということは、大変有効な手段のひとつです。
マインドフルネスには、「身体に注意を向ける」瞑想が存在します。
「ボディスキャン」という、足、手、腕、腹部など、身体の各部位を順番に感じてみる瞑想や、身体全体の感覚に注意を向ける瞑想などです。
身体に意識を置くことによって、思考と僕たちの間に距離ができ、思考に固着していた注意が外れやすくなるのです。
スピリチュアルの大家の一人であるエックハルト・トール氏も、その世界的著書「ニューアース」のなかで、エゴの支配から脱出する方法として、「ボディスキャン」を紹介しています。
注意点
この瞑想を行う際、注意していただきたいことがあります。
注意① 思考になるべく抵抗しないこと
おそらく慣れないうちは、これらを追い払おうとしたり、内容を書き替えようと努力するかもしれません。
仮にそうであったとしても、それは心の自然な働きであり、誰でもあり得ること。
気にしてもいいのですが、自分を責める必要はありません。
しかし、思考の状態や内容を変えようとしなくても、身体に注意を向けることは可能なのです。
おそらく練習を重ねることで、思考をそのままに、身体に意識を置くという感覚が身に付くことでしょう。
注意② 身体を「感じよう」としたり、「注意を向けよう」と努力したりしないこと
身体にそっと意識を「置く」だけでいいのです。
うっすらと身体を感じるぐらいで構いません。
また、意識を置いたからといって、必ず体の感覚が感じられるとはかぎらないのです。
それはあくまで結果として起こることです。
「感じない」ということも、立派な感じ方のひとつです。
そのときは、ただ「感じない」と認めればいいのです。
思考に囚われてもいい
このように、思考に巻き込まれたときは、意識を身体に避難させることによって、やり過ごすことが可能です。
とはいえ、思考への注意の固着は、ときとして非常に強力です。
身体に意識を置いても、やはり思考へと注意が引き込まれてしまう、ということも充分あり得ることです。
そのときは、思考から無理やり注意を引きはがそうとしないことです。
なるべく注意を思考に囚われたままにして、「思考に囚われている」と認めることが、思考への囚われから脱する近道なのです。