本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

豆腐メンタルですが何か


私は豆腐メンタルです。

 

対人恐怖がきわめて強く、

 

人の反応が、

 

人の批判が、

 

人の怒りが、

 

怖くて怖くて仕方がありません。

 

人から少し叱られただけで、とても傷つきます。

 

人の機嫌が悪いと、自分が何かしたからにちがいないという考えが湧き、いてもたってもいられない気持ちになります。

 

人の反応を予測して身動きが取れず、思ったことがやれないことも多々あります。

 

豆腐メンタルは変わらなかった

 

以前はそんな自分を変えようと、

 

努力に努力を重ねていました。

 

内観療法、

 

認知行動療法、

 

暴露療法、

 

アドラー心理学、

 

仏教典の実践、

 

ヨーガ、

 

スピリチュアル。

 

対人恐怖を撲滅できるのではないかと期待しつつ、

 

様々な試みをしました。

 

何年やったかわかりません。

 

少なくとも干支が一周りする年月は、

 

全身全霊で取り組みました。

 

しかし、やはり私は豆腐メンタルです。

 

相変わらず、

 

人の反応が、

 

人の批判が、

 

人の怒りが、

 

怖くて怖くて仕方がありません。

 

どうやら私の恐怖心は、何も変わっていなかったようです。

 

残念ですが私は、

 

感謝の念を起こそうとしたり、

 

自分自身に無理に怖いことをさせようとしたり、

 

納得できない理屈を自分にわからせようとしたり、

 

わざとらしい好意的な言葉を濫用したり、

 

やりたくもない善行を自分に強要したりと、

 

恐怖心を必死でごまかしていただけのようです。

 

もちろんこれは、私のやり方が悪かっただけで、あなたは違うでしょう。

 

いずれにせよ、私はあきらめました。

 

「私の豆腐メンタルは、変わらんのだなあ」

 

 

豆腐メンタルを受け入れる

 

人の批判を怖れて予防線を張る自分も、

 

人の反応を予測して行動をためらう自分も、

 

人の機嫌を必要以上にうかがう自分も、

 

どうやらまぎれもなく自分のようです。

 

変わらないのなら、受け入れるよりほかにあるまい。

 

たしかにそれは、とても不自由かもしれません。

 

やりたいことの1割もできない日も多々あります。

 

でも私は、ないものねだりも、もう飽きました。

 

やりたいことの1割もできないことが、私の10割なのかもしれません。

 

それが私にとっての分相応なのかもしれません。

 

必要だからメンタルが豆腐

 

「私は豆腐メンタルです」

 

このように認めることで、

 

私は少しずつ気づくのです。

 

たしかに過剰な面は否めないけれど・・・

 

この豆腐メンタルは、私を守ってくれているのだ、と。

 

日々、やりたいことに情熱を燃やす彼。

 

彼は、自由に発言している。

 

私にはそう見えている。

 

「きっと彼は、私のように強烈な恐怖は感じていないのだろうなあ」

 

そんな彼を見て、以前はうらやましいと思っていた。

 

しかし、彼をよく見てみると・・・

 

自由に発言している彼は、そのぶん激しい批判も浴びている。

 

私にそれが耐えられるか?

 

否。

 

きっとあんなふうに言われたら、

 

私なら半年は寝込むだろう。

 

今ならそんなことは、容易にわかります。

 

だから私には、そんなふうに自由に発言できないマインドが備わっているのです。

 

自分にとっての致命傷を回避するために。

 

そう。

 

私のメンタルが豆腐なのは、私にとって必要なことだったのです。

 

豆腐は豆腐のままでいい

 

このことを理解するとき。

 

私は、豆腐メンタルを変えさせようという気が失せます。

 

そして、自分の内面の動きを、観察し続けます。

 

すると・・・

 

本当にごくごくたまにですが、

 

誤解が解けることがあるのです。

 

「ああ、これはそこまで怖がらなくても大丈夫だったのか」と。

 

次に同様のことが起きたときは、

 

本当にごくごくわずかにですが、

 

耐性ができているのです。

 

そして、やりたいことの2割くらいできている日も、ときおりあることに気づくのです。

 

絹ごし豆腐ぐらいの耐久性だった私のメンタルは、

 

もめん豆腐ぐらいになっているのです。

 

もちろん、豆腐は豆腐ですけど。

 

豆腐が鋼になったりはいたしません。

 

でも、それがいい。

 

いくら快活に過ごしているように映っていても、

 

彼のような批判にさらされる日々は、私はごめんだから。

 

自分にとって都合のいい変化を「進歩」と呼ぶのなら、

 

これが私の適正進歩です。

 

だから私は、今日も認めます。

 

「豆腐メンタルですが何か」