「人が許せない」
このように苦しんでいる方は多くいらっしゃるかもしれません。
人を許すには、まず自分を許すことです。
自分を許す過程で、おのずと人を許していることでしょう。
だから、今は人が許せないのなら、まずはそんな自分を許すことです。
とはいえ、自分を許したいと願うにもかかわらず、「許し方」がわからない。
あなたはそう思っているかもしれません。
とてもよくわかります。
僕もそうでした。
それもそのはず、おそらく僕たちは、家でも学校でも許し方を教わってこなかったのではないでしょうか。
だから許し方がわからなくて当然だと僕は思います。
そこで、あなたは答えを求めて書店に足を運び、心理読み物に目を通します。
そこには耳に優しいポジティブな言葉たちが並んでいます。
「そうか。自分を許すには、自分を好きにならなくてはいけないのか。」
あなたはそう解釈し、その日から自分を好きになろうと努力します。
なんだか嘘っぽいなあと思いつつも、自分自身の心に無理に前向きな言葉を押し込めようとします。
胸が締めつけられるような不快な感覚が起こります。
心は拒絶反応を起こし、ますます荒れた言葉を発するようになります。
そしてあなたはそんな自分に失望し、ますます自分自身を否定します。
自分を好きになろうとして、ますます自分が嫌いになる。
つらいですよね。
しかしあなたには何も落ち度はありません。
「許す」ということがどういうことなのか。
その本質を説明できている情報に、僕もお目にかかったことはないからです。
ならば僕の言葉で説明しましょう。
あなたに伝わるかどうかはわかりませんが、理解の一助になれば幸いです。
許すとは、自分の心に何かポジティブなものを詰め込むことではありません。
むしろその逆です。
手放すことです。
余計なものを切り離すこと。
許すためにはそれが大切なのです。
それは憎しみかもしれませんし、疑念かもしれませんし、本心から感じていないポジティブな言葉かもしれません。
それらを手放すことができるなら、取りたてて優しさはなくても許すことはできます。
何かになろうとすること=自己否定
自分を許すには、何かになろうとしないことです。
なぜなら、何かになろうとすることが自己否定だからです。
自分を好きになろうとすることは、実は自己否定です。
だから自分を許すには、自分を好きになろうとしないことです。
あなたはリラックスしようとして、よけいにリラックスできなかったことはないでしょうか。
そうです。
それが自然の摂理なのです。
何かになろうとすればするほど、「今、そうではない自分はダメだ」と言っているようなものなのです。
自分を好きになろうとすればするほど、「今、自分が好きではない自分はダメだ」と追認しているようなものなのです。
だから、自分が嫌いになって当然なのです。
自分を好きになろうとしてますます自分が許せなくなるあなたは、異常でも何でもないのです。
むしろ自然の摂理にかなった反応ではないでしょうか。
手放そうとすることを手放す
ならば、自分を好きになろうとするのをいっそ手放してみてはいかがでしょうか。
そして、自分の内面を肯定も否定もせず、ただ観察してみてはいかがでしょうか。
焦る必要はいっさいありません。
何も足さなくていいのです。
ただ観るだけでいいのです。
手放すことが大事とはいえ、手放そう手放そうと意識しなくて大丈夫です。
手放そうとすることさえ手放してもいいかもしれません。
もうおわかりかもしれませんが、許そうとしないことが許す近道なのです。
自己観察を続けるなら、いずれあなたには適切なタイミングで、自分自身を許すときが訪れるでしょう。
そして、余計なものを手放して空いたスペースに、じんわりとポジティブなものがしみこんでくるでしょう。
それはあなたが掴みにいくものではありません。
向こうから自然にやって来るのです。