限界を認める
スピリチュアルなどで、「あなたに耐えられないことは起こらない」というような言葉を見聞きしたことがあるのではないでしょうか。
「いやいや、耐えられないことばかり起こってるよ」
今、苦境にいらっしゃる方は、この言葉に違和感をおぼえるかもしれません。
この言葉の真意は何なのでしょうか。
2種類の「耐えられない」
①人生全体で観る「耐えられない」
「耐えられないことは起こらない」
この言葉は、僕がこのブログで使う「大丈夫」と同様、究極的なものであると僕は解しています。
ここでいう「耐えられない」とは、今世の終焉を指しているのではないでしょうか。
つまり、「今、あなたは現に生きているのだから、あなたは耐えられている」ということなのでしょう。
「本当に耐えられないのなら、絶命して今世を終えているだろう。」
そういうことなのでしょう。
たしかに人生を全体として捉えることができるなら、この意見は的を得たものであると理解できます。
②今という時間で観る「耐えられない」
しかし、あなたの違和感は僕にはよくわかります。
そういうレベルで「耐えられない」と言っているんじゃないんだ、と。
きっとあなたは忍耐強い人でしょう。
苦しくても黙って耐えてきたのではないでしょうか。
そのうえできたした限界。
自分に耐えられないことが現に起こっている。
実際こうして過労で鬱になり、寝込んでいるじゃないか。
これが「耐えられること」なんて言われるのは心外だ、と。
あなたの言うことはごもっともだと思います。
今という時間だけ切り取って観ると、たしかにあなたは耐えられない状況にあるのではないでしょうか。
限界を認める
このときあなたは、「もう限界だ」と感じているのではないでしょうか。
そして、この「限界だ」という「感じ方」こそ、今のあなたが大事にする必要のあるものではないかと僕は思うのです。
つまり、今、あなたに大切な姿勢は、「自分の限界を認める」ということかもしれません。
自分の「感じ方」のみを頼りに、今の自分の限界はここまでだと認識し続けるのです。
ストレッチをしているとき、身体が痛く感じる手前で「限界だ」と認める。
家事をしていて、疲れを感じたら「限界だ」と認める。
友人にLineの返信を打っていて、文章が詰まって手が止まったら「限界だ」と認める。
ひとつひとつ、限界を確認していくのです。
「限界だ」には、外的な基準はありません。
あなたの「感じ方」で決めていいのです。
ひとつ助言申し上げると、あなたの場合は多少物足りないと感じるぐらいでちょうどいいのではないかと思います。
またここでは、限界をただ認めるだけでいいのです。
そこでやめてもいいし、できそうなら続けてもいいのです。
一旦、認めるということが大切なのです。
完璧主義には抵抗しない
このときおそらく、あなたの中の完璧主義が口を挟んでくるでしょう。
「もっと頑張れ」
「諦めるな」
「ここでやめたら損をするぞ」と。
残念ながら、あなたの意志でこの言葉を消すことはできないでしょう。
だから消そうとしない。
なるべく抵抗もしない。
苦しみにできるかぎり身を委ねるのです。
それはとても不快かもしれません。
しかしこここそ、あなたの得意な忍耐力の出番ではないでしょうか。
瞑想の技術でこれらの言葉を脇へ流します。
完璧主義があなたを変えようとすることに飽きて立ち去るまで、なるべく反応せずに待ちます。
もちろん失敗するときもあると思いますが、これを繰り返していきます。
結び
その先にはいったい何があるのでしょうか。
これを続けることで、おそらくあなたは自分の限界を理解することでしょう。
そして、自分にとってのものごとの引き際がわかってくると思います。
これによって、あなたは「本当に耐えられないものからは離れる」という関わり方を身につけるでしょう。
そのときあなたは、「人生に耐えられないことは起こらない」という言葉の真意を理解することでしょう。